天龍寺文書  第52号 大宰帥世良親王遺領臨川寺領目録注進状案

天龍寺文書  第52号 大宰帥世良親王遺領臨川寺領目録注進状案
52 大宰帥世良親王遺領臨川寺領目録注進状案
故大宰帥親王(世良親王)家御遺跡臨川寺領等目録
一 丹波国葛野庄 当御治世自去年十月之比、御
押妨、被付給主女房南御方云々、此所者、領家地頭中分地也、領家故親王家、御年貢二百余也、本家宝荘厳院、地頭荻野五郎入道云々、
一 和泉国塩穴荘 当御治世御押妨同前、給主四条宰相隆陰卿云々、領家故親王家、年貢六十、加雑物百計地也、本家春日社領,、地頭二宮右衛門次郎入道云々
一 同国若松庄 内大臣僧正道祐依競望申、去元徳三年二月十四日、不慮被下 綸旨之由、承及之間、巳仏陀施入之地、非分御綺之段、歎申之処、同二十五日被成綸旨於寺家了、而悪党楠兵衛尉(楠木正成)押妨当所之由、依風聞之説、称彼跡、当国守護御代官自去年八月之比、令収納年貢以下之条、不便之次第也、守護御代官于今当知行、当所領家故親王家、年貢三百石計、領家一円地也、本家仁和寺勝功徳院
一 伊勢国冨津御厨 年貢十貫計之地也、領主醍醐寺覚相院律師定超、本家故親王家、地頭名字不審
一 美濃国南宮社 当所者、故宮御加冠之時、二条前殿(二条兼基)依被奉行申之忠、可有殿一期御管領之由被申了、自前殿給人不知之、領家故親王家、本家南宮社、地頭請所、年貢二百貫、地頭宇津宮云々
(解説) 世良親王の遺領で、臨川寺に引き継がれた荘園名が書かれている。
文書に出てくる、和泉国若松庄の箇所に楠木正成が若松庄を押領したとの記載がのっている。この出来事が、後醍醐天皇と楠木正成をつないだきっかけになったと言われている。

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