三仏寺廃寺

三仏寺廃寺
飛騨の古代寺院・三仏寺廃寺   さんぶつじはいじ
所在地  岐阜県高山市三福寺町字落し たかやましさんふくじまちあざおとし
調査年  1993年、1996年
調査主体 高山市教育委員会
立地環境 江戸時代三福寺村集落地内、大八賀川右岸、三仏寺城跡(平安末~戦国時代)の麓、標高570m
発見遺構 寺院推定地約1,000㎡中に瓦集積地点、瓦片包含層を検出、寺域は100m四方、南面していたと思われ、周辺より約1m高かったと推定される。
発見遺物 軒丸瓦、丸瓦、平瓦、須恵器   年代は7世紀~11世紀
遺跡の概要 当遺跡が立地する三福寺町は、大八賀川右岸にあって、高山市内旧市街地の北方にあたり、北山という小山を間にはさんでいる。「三福寺」という地名は江戸・金森時代以後のことで、それ以前は三仏寺と称されている。後代の諸文献には、古い時代に三仏寺という寺院があったと記される。元禄水帳には、「どうのまえ」「じょうど」「もんぜん」等の小字が見え、布目瓦が周辺畑地や水田から多く出土している。
 中世以降は、寺を含めて裏側の山に三仏寺城という山城があった。『飛州志』『斐太後風土記』では、三仏寺城跡と三仏寺が混同されて、山上に寺があったように記されている。郷土史家押上森蔵は実地調査をして、三仏寺が立地条件から考えても山上では適当でなく、山麓の現遺跡指定地が寺域と推定したが、卓見であるといえよう。
 瓦類の発見は数回あり、昭和3年道路改修時に軒丸瓦が10数個出土、何個かが地元に残る。昭和43年、森本正雄家裏の電柱工事の際に瓦が多く出土した。過去に採集された軒丸瓦を図2に掲載する。また、平成4年に発掘調査された際に出土した遺物は、図3~5に記した。図3の軒丸瓦は、外縁素文有子葉単弁八葉、蓮華文、中房の蓮子は中央に1個、回りに4個配され、蓮弁内に波状を呈する子葉がある。図4~5平瓦は4種類に分類され、
   3~6が凸面格子タタキ、
   7~10が凸面格子タタキで目が比較的細かい、
   11~17は凸面斜格子タタキ、
   18~23はその他各種で、18は凸面平行タタキ、19、20が凸面ヘラケズリ、21が凸面縄タタキ、22、23が粗い凸面平行タタキである。①~④類とも桶巻痕跡が見られ、厚さは21~25㎜、26~28㎜と厚く焼成は軟良いろいろ。
 三仏寺瓦の窯は松之木町日面原(ひおもばら)古窯跡ほか5箇所が推定されているが、まだ確証は得られていない。
 三仏寺の成立から終末は全く不明であるが、出土丸瓦からみて白鳳期の成立、平安時代末には三仏寺城との関連をもち、以後廃絶した。
出典文献
1.『高山市内遺跡発掘調査報告書』高山市教育委員会1996
2.田中彰「三仏寺廃寺」『古代仏教東へ ― 寺と窯』第9回東海埋蔵文化財研究会岐阜大会実行委員会1992
3.八賀晋「飛騨の古墳と古代寺院」『古代の飛騨』飛騨国府シンポジュウム資料、国府町教育委員会1988
4.荒川喜一『大八賀村史』大八賀財産区1971