光寿庵跡

光寿庵跡
飛騨の古代寺院・光寿庵跡
光寿庵跡  こうじゅあんあと
所在地   岐阜県高山市国府町上広瀬屋舗 こくふちょうかみひろせやしき
立地環境  宮川の右岸に位置し、国府盆地の南端、石橋廃寺のさらに南側にある。当遺跡が所在する上広瀬は、南向きの日当たりがよい緩斜面が広がり、現在桃の良好産地である。小規模な谷が開けた平坦地の奥に立地する
発見遺物  過去に採取された線刻絵画瓦(図1-1~3)、四重弧文軒平瓦が、地元諏訪神社に所蔵される。
年代    7世紀後半~8世紀
遺跡の概要 以前、礎石の一部が遺存していたという。線刻絵画瓦は有名で、役人(?)、鳥、人物の足が描かれる。四重弧文軒平瓦は石橋廃寺、名張廃寺からも出土している。
      石橋廃寺との距離は近く、両寺院との関係が注目される。
<引用文献>
国際古代史シンポジウム実行委員会編集『国際古代史シンポジウム・イン・矢吹「東アジアにおける古代国家成立期の諸問題」飛鳥・白鳳時代の諸問題Ⅱ』147頁 国際古代史シンポジウム実行委員会発行 平成8年出典文献
東海埋蔵文化財研究会『古代仏教東へ ― 寺と窯』寺院 第9回東海埋蔵文化財研究会岐阜大会1992
飛騨国府シンポジウム資料『古代の飛騨 その先進性を問う』国府町1988
光寿庵跡出土瓦(県指定重要文化財) 諏訪神社所有
 光寿庵跡は、諏訪神社裏の山中に位置し、付近からは軒丸瓦・軒平瓦・平瓦が採取されている。
軒平瓦は四(よん)重(じゅう)重(じゅう)弧(こ)文(もん)で宮川下流約1.5キロメートルにある国府町広(ひろ)瀬(せ)町(まち)の石(いし)橋(ばし)廃(はい)寺(じ)跡から出土した軒平瓦と同様で、奈良時代のものと推定される。
平瓦には、膝をついた男子像などが描かれた人物戯画瓦と鳥と鳥籠が描かれた絵瓦があり、県の重要文化財に指定されている。
人物戯画瓦の男子の服装などから当時の都の様子がうかがうことができ、当時の飛騨地方と都とのつながりを示している。
*説明版より
 高山市国府町上広瀬の諏訪神社北方の山中、上広瀬字屋舗一体を光寿庵跡といいます。長野県王滝村資料館にある鰐口の銘文に、光寿庵のことであると思われる記載があることから、永享8(1436)年まで現存していたことが立証されています。遺物では、人物戯画が線刻された平瓦や円面硯、飛騨地方で初の出土となった畿内産土器などが知られます。畿内産土器とは、日本各地の官衙や寺院などから出土する都で作られた土器のことで、都と地方との関係を示しています。石橋廃寺跡の塔心礎と出土品は、高山市指定文化財となっています。字屋舗では、後世の寺院関係の遺構ともいえる土門や古道が発見されています。光寿庵跡からは、古くは礎石が1つ発見され、軒丸瓦、軒平瓦及び白鳳期の戯画瓦などの遺物が採集されています。上広瀬地区は、越中街道の西街道と東街道の分岐点にありました。奈良時代、山麓の石橋廃寺跡は下寺、光寿庵跡は上寺の関係だったと思われます。
(引用:http://nihonisan-hidanotakumi.jp/cultural_heritage/03.html)