川上別邸史跡公園 高山市指定文化財

川上別邸史跡公園 高山市指定文化財
(指定)平成12年5月22日
(名称)「町年寄川上家別邸跡」
(所有者)高山市
(所在地)高山市島川原町47、48、49番地
(年代)江戸時代
(員数)敷地1098.38平方メートル
1、庭園 1箇所 池泉回遊式
2、稲荷社 1棟
3、土蔵 1棟
この地は、金森左京(重勝・金森氏第3代重頼の弟)の屋敷があったところで、当時の面積は現公園の4倍近くあったと考えられる。その後町年寄の川上斉右衛門の別邸になり、さらに平田、小森家の所有となった。両家では、由緒ある川上別邸の庭、土蔵等を後生に残すため、平成10年12月、高山市へ土地建物一式を寄贈された。平成13年、庭園全体の整備工事と土蔵の屋根、板壁修理、稲荷社の修理、公衆便所と40トン貯水槽の新築工事を行なった。
この庭は、左京の時代からの遺構と思われ、宗和流茶道の始祖宗和の庭の趣きを有し、石組みなど、県内にある宗和好みの庭との共通性が見られる。また、川上斉右衛門は大原騒動に座し、若くしてこの場所に隠居している。この別邸へ漢学者の赤田臥牛が訪れ、庭を洋踽園と名づけた。漢文で洋踽園記を著し、この庭をほめている。その中に松、エンジュ、カエデ、柳、竹や花があったとの記述があったため、失われていた柳、エンジュ、竹を今回補植した。
庭内の稲荷社は谷口与鹿の兄与三郎延恭の作で、天保13年(1842)の総ケヤキ造り建築。願主は町年寄川上斉右衛門棋堂、屋敷神としては立派なものである。覆い屋には千鳥格子が見られる。
土蔵は江戸後期の建築で、左官の名手江戸家万蔵の作と伝わる。扉内側には色鮮やかな松に日の出と双鶴の漆喰細工が残っている。万蔵は文政8年(1825)頃高山へ来て、法華寺下の桔梗橋近くの長屋に住んでいたという。川上家本宅の土蔵は万蔵の作で、やはりこて絵の内扉があり、飛騨高山まちの博物館にこて絵の内扉1対が残っている。
平成13年11月
高山市
説明板より

 

関連資料

1-3-11 川上別邸史跡公園