越前馬場 平泉寺白山神社

越前馬場 平泉寺白山神社
[住所]福井県勝山市平泉寺町平泉寺56河上
[電話]0779-88-1591平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)は、福井県勝山市平泉寺町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
白山国立公園特別指定区域内にある。正式には白山神社。あるいは白山平泉寺とも称す。しかし、現在は寺院ではない。
白山神社ではあるが、主神を菊理媛神とはしていない。本殿に伊奘冊尊、本殿右の別山社に天忍穂耳尊、左の越南知社(おおなむちしゃ)に大己貴尊(大国主命)を祀る。例祭は4月20日。
奈良時代初期の養老元年(717年)、泰澄大師によって創建された。そもそも早くから白山登拝を志していた大師は、この年白山へ登る途中で林泉を発見。
神託によってこの地が神明遊止の地であることを教えられ、ここに奉斎した。その林泉は今も御手洗池と呼ばれている。なお、この由緒は篠座神社とも共通する。
中世以降比叡山延暦寺の勢力下に入り、霊応山平泉寺として知られた。白山信仰の越前側の禅定道の拠点、いわゆる越前馬場として、最盛期には48社36堂6000坊、僧兵8000人の巨大な宗教都市を形成した。
『平家物語』には、平家と木曾義仲(源義仲)方との燧ケ城の戦いで、平泉寺の長吏斎明が木曾義仲を裏切り平家側についたことが書かれている。
斎明はその後の倶利伽羅峠の戦いで捕らえられ処刑されているが、一方で義仲はその戦いの後に藤島七郷を平泉寺に寄進している。
戦国時代には朝倉氏と肩を並べる越前国の一大勢力であったが、朝倉氏滅亡後の天正2年(1574年)、一向一揆が勃発、逃れてきた朝倉景鏡をかくまったために一向一揆に焼き討ちされ衰亡。
その後、豊臣秀吉などの崇敬を受けて顕海が復興し、江戸時代には福井藩・越前勝山藩から寄進を受ける。
寛政8年(1688年)、いさかいが絶えなかった白山三馬場の問題が江戸幕府により裁定された際に白山山頂が平泉寺領と定められ、白山頂上本社の祭祀権を獲得。
明治時代に神仏分離令により寺号を捨て現在に至る。
境内の苔は西芳寺と共に有名。旧玄成院(別当・平泉宮司邸)庭園は、昭和5年(1930年)に国の名勝に指定された。
境内は「白山平泉寺旧境内」として国の史跡に指定されている。平成になっても発掘調査が進められており、往時の壮大な遺構が発見されている。
なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
また、「美しい日本の歴史的風土100選」(平成19年)、「かおり風景100選」(平成13年)に選定され、参道が「日本の道百選」(昭和61年)に、平泉寺から白山までの白山禅定道が「歴史の道百選」(平成8年)に選定されている。