高山祭屋台の祖型となった山車

高山祭屋台の祖型となった山車
<田安門をくぐった江戸の屋台>
 江戸の神田祭、山王祭は、かつて屋台が江戸城内に入って天覧の栄を受けた。その経路が分かっていて(次ページ図)、伸縮の仕組みがある屋台であった。この構造が高山の屋台に継承されていると考えられている。江戸型の山車は、現在、栃木市の山車「静御前」として残っている。
かつて、江戸で山車がくぐったという田安門は、国指定重要文化財(昭和36年(1961)6月7日指定)で、九段坂上にある。門の前の土橋が千鳥ヶ淵と低地の牛ヶ淵の水位調整をしていた。江戸時代には江戸城北の丸から牛込門を経て上州(現在の群馬県)へ向かう道の起点であった。門の名は、この台地が田安台と呼ばれ、田安神社(現在の築土神社)があったことに由来する。
 門は元和6年(1620)に建築され、寛永13年(1636)に修繕されたものが現在に伝わっていると考えられ、高麗門は江戸城のなかでは最も古い建築物である。
 現存する石垣は戦災により崩れ、昭和40年(1965)の北の丸整備に合わせて修復されたものであるが、地上から2~3段分は江戸時代の原型を保っている。
<江戸型から高山型へ>
 高山市文化財審議委員であった大野政雄は『高山の屋台の祖形について』(高山屋台保存会・昭和35年発行)の中で、「頑強な封建性はここでは全く見られない。もっとも、そう窮屈に考えなければならぬ特別な『いわく』がくっついているわけでもなかった……」と結んでいて、高山の屋台は江戸型の祖形を失っていると考えられている。
 高山の屋台が江戸の屋台を移して、それを次々と替え、200年ほどの間に全く江戸型を捨て、他にない完全な高山型の屋台を作り上げた。これは高山の町に優秀な工人がいたこと、その工人に仕事をさせるだけの教養と財を持った裕福な町人がいたことが、今日の華麗な屋台を造り出したのであろう。

男山(石清水)八幡宮(鳩峰車の主題手本)

栃木・山車(江戸型屋台の山車が残る)

屋台会館

 

関連資料

5-2 高山祭屋台の祖型となった山車