春の高山祭 山王祭
春の高山祭 山王祭
日枝神社(高山市城山)を中心に祭礼が毎年4月14、15日に執行される。
春と秋の高山祭は、今から約400年前に始まった。江戸時代初めの飛騨国主「金森氏」は、城下町高山を整備する際、城の守護神として日吉(ひえい)神社(現在の日枝神社)を設け、氏子の区域は商人町の南側としている。また、城下町の北方には産土(うぶすな)神(がみ)として八幡宮を設け、商人町の北側区域を氏子とした。以来商人町の祭礼として発達し、日枝神社は春祭り、八幡宮は秋祭りの祭礼として、現在も厳かに続いている。
高山祭りの屋台は、祭礼を盛り上げる「出しもの」として、今から300年ぐらい前から曳かれるようになった。江戸時代の「組」という単位の区域で屋台が作られ、各組が美しさを競い合い、絢爛豪華な屋台が作られるようになった。
神様が氏子の家々をまわる「御巡幸(ごじゅんこう)」、豪華な「屋台」の曳(ひ)きそろえ、多くの人に感動を与える。
奈良・平安時代に、秀れた木工技術を持っていた飛騨の匠は、都の宮殿などを作りに出向いたが、その技術は屋台の建造技術にも生かされ、絢爛豪華な屋台を作りあげた。屋台には、谷口与(よ)鹿(ろく)を始めとする飛騨の匠の技巧を凝らした木彫彫刻がある。どれも目を見張る作品ばかりで、鳳凰や鯉、唐子など、今にも動き出しそうな躍動感ある彫りがみられる。
また、春祭には、能を外題(げだい)とした三つの「カラクリ」が奉納される。カラクリ人形の後方で綱方(つなかた)が数10本の糸を操り、樋(とい)の先の人形を動かしてゆくカラクリの妙(みょう)を見ることができる。屋台は春祭りが12基、秋祭りが11基あり、国の重要有形民俗文化財に指定されている。