白川郷 明善寺岐阜県私立大学地方創生推進事業, 郡上白山文化遺産デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ白川郷 明善寺 集落内の真宗大谷派の寺院。本堂、庫裏、鐘楼と合掌造りのままなのは他に類を見ない。 本堂では、京都の東寺や醍醐寺にもある、浜田泰介画伯の障壁画を見る事ができる。 明善寺(白川郷)概要: 松原山明善寺は岐阜県大野郡白川村萩町地区に境内を構えている真宗大谷派の寺院です。明善寺の創建は不詳ですが延享5年(1748)、白川八幡神社(上白川郷18ヶ村・下白川郷23ヶ村の産土神)の別当だった仙光院の跡を継ぐ為、内ヶ戸から移ってきたのが始まりと伝えられています(延享元年:1744年に浄土真宗本願寺派の本覚寺から真宗大谷派として分派したとも)。 現在の明善寺庫裏は江戸時代末期に建てられたもので高さ15m、建築面積100坪、萱面積108坪、白川郷を代表する合掌造建築として貴重な事から昭和43年(1968)に岐阜県指定有形文化財に指定されています。 鐘楼門は享和元年(1801)に飛騨の匠である加藤定七によって手懸けられたもので入母屋、茅葺、一間一戸、2重垂木、上層部には下層部に比べ柱割が短く、壁は吹き放し、際には高欄が廻っています(当時の梵鐘は大戦中に供出となり現在のものは戦後中村義一氏によって制作されたものです)。鐘楼門は江戸時代後期に建てられた二重楼門建築として貴重なことから昭和43年(1968)に岐阜県指定有形文化財に指定されています。 明善寺本堂は文政6年(1823)から文政10年(1827)にかけて現在の高山市出身の宮大工水間宇助によって手懸けられたもので入母屋、茅葺、桁行7間、梁間6間、正面には茅葺の大屋根切欠くように向拝が取り付いています。明善寺本堂は江戸時代後期に建てられた寺院本堂建築として貴重ことから昭和42年(1967)に白川村指定重要文化財に指定されています。 明善寺の境内にあるイチイは文政10年(1827)、本堂落成時に副棟梁だった与四郎が植えたと伝えられる大木で樹高約10m、根回り約2.6m、昭和49年(1974)に岐阜県指定天然記念物に指定されています。白川郷が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されると、その構成要素の一つに選定されています。山号:松原山。宗派:真宗大谷派。本尊:阿弥陀如来。 2022年10月25日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2022/10/circd0057-0016_R.jpg 768 1024 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2022-10-25 11:27:152022-10-25 11:27:15白川郷 明善寺