上宝の信仰と東山寺院群 ~ 東山寺院群その1 ~
上宝の信仰と東山寺院群 ~ 東山寺院群その1 ~
越前大野城主であった金森長近は、天正14年(1586)に飛騨の国の国主となり、現在の高山市の基礎を作り上げた。飛騨を治めることになった長近は、信長や秀吉と攻略した各地の軍事拠点や越前大野の城下町づくりなどの経験を生かし、経済基盤のしっかりした城下町づくりを目指した。
長近は高山城を造り、次に、その城を取り囲んで外敵から守るために武士団の屋敷群を構成している。この地区は1段高い場所にあって、現在地元の人たちは「空町」、「ソラ」と呼んでいるが、昔は「欠ノ上(かけのうえ)」といった。
東山寺院群は、金森氏の領国時代に武家の菩提寺として建てられた。そのため江名子川の右岸辺りから、各寺院に東方向に登る参道がある。参道の石段を登るのは大変だが、段々寺が近くなってゆく心地よい情景が感じられる。
北から南方向に雲龍寺、大雄寺、素玄寺、天性寺、法華寺、善応寺、宗猷寺と並んでいる。南端は臨済宗の宗猷寺、北方向に善応寺、法華寺と並んでいる。宗猷寺の裏には木地師の集団墓地、近くに金森左京の墓がある。