身近にある有毒植物:アジサイ(紫陽花)
【説明】 |
アジサイ(紫陽花)は日本の梅雨を代表する花であり、夏(仲夏)の季語でもある。樹高は1〜2mほどの落葉低木で、5〜7月にかけて開花する。白、青、紫または赤色の花びらのように見える部分は葉が変形した萼(がく)であり、装飾花とよばれる。葉は光沢があり、葉脈がはっきりと浮き上がっている。 |
【有毒性】 |
アジサイの葉や花が料理の飾り用として市場に流通していることが確認されているが、アジサイの葉や茎、花には有毒性があり、特に死亡例は報告されていないが、大人や子どもが体調を崩した症例が複数報告されている。 |
【症状】 |
葉や茎、花を折った際の有毒の乳白色の樹液に触れたり口に含んだりした際の症状として、めまい、嘔吐、痙攣、昏睡、呼吸麻痺があげられるが、毒性成分は明らかになっていない。 |
【処置法】 |
接種してしまった場合は、すぐに救急車をよび、症状が出る前に処置をしてもらう。 |
【事故事例】 |
茨城県の飲食店で、アジサイの葉を食べた1グループ19人のうち8人が、会食30分後から嘔吐、吐き気、目眩などの食中毒症状が起きた事故が挙げられる。(JCASTニュース15YERS 記事「アジサイの葉食べて中毒 つくば市の飲食店」2008年06月23日18時05分URL: https://www.j-cast.com/2008/06/23022282.html?p=all[アクセス:2021/12/16]) |
資料(メタデータ)
身近な有毒植物_アジサイ
沖縄の有用植物:シークヮーサー
【説明】シークヮーサーはミカン科の常緑低木・柑橘類で、主に大宜味村ややんばる地域で生産され、自生している野生のものもある。果実の大きさは平均直径3~4㎝ほどで、見た目がカボスやすだちに類似している。沖縄県を代表する果実として全国一の生産量であり、爽やかな香りと強い酸味が特徴である。
名前の由来は「酸(シー)を食わせる(クヮース)モノ(サー)」という意味の沖縄方言をつなげて“シークヮーサー”とよばれるようになった。地域によっては“シークワーサー”や“シークワーシャー”、“シークァーサー”など多くの呼び方がある。また、発音の解釈の違いによって表記ゆれもあり、食品メーカーや店舗によっても表記が異なり、定まっていない。
しかし、主な産地である大宜味村のホームページや琉球新報、日本果汁協会では、一般的に呼ばれている“シークヮーサー”を取り扱っている。和名では「平実檸檬(ヒラミレモン)」という。
【特色】シークヮーサーの収穫は年に3度あり、収穫時期によって用途が異なる。
[1度目]の8月~9月に収穫したものは青切りと呼ばれ、未熟で酸味が強く、主に刺身や焼き魚にかけたり、酢の物として使用される。食用の他にも薬味に使用されたり、堅くゴワゴワしている芭蕉布を柔らかく織り上げるため、洗濯にも使用されていた。
[2度目]の10月~12月中旬は、収穫後、搾り汁を瓶詰めし、原液ジュースとして販売される。
[3度目]の12月中旬~2月の収穫は、皮が黄色くなり完熟し甘酸っぱい風味であり、生食用やジュース、ゼリーなどに加工される。
その他にも果皮や果肉をお茶にして飲んだり、和食、洋食、スイーツなど、幅広く使用され、沖縄の料理には欠かせない食材である。
【古来の活用方法】
~芭蕉布洗濯の実践~
①シークヮーサーの実12㎏を搾る。
②その搾り汁の中で丁寧に押し洗いし、濯ぐ。
③半乾きにした状態で布を引っ張り伸ばす。
④湯飲みのへりで何度も表面を擦り、しわを伸ばす。
※芭蕉布は破れやすいため力加減に注意し、この作業を繰り返し行う。
資料(メタデータ)
沖縄の有用植物_シークヮーサー
身近にある有毒植物:ミフクラギ(オキナワキョウチクトウ)
【説明】 |
熱帯アジアに分布し、排気ガスや公害に強いことから交通道路や公園、海岸近くなどに多く見られる。葉は細長く互生し、長さ約10~25センチメートルで倒披針形、表面に光沢があり全縁である。花は白色、果実は長卵形である。 |
【有毒性】 |
種子は猛毒であり、実が赤く熟すため、マンゴーと間違える事故も発生している。枝葉を折った際にでる乳白色の樹液も有毒であり、目や粘膜に触れると腫れることからミフクラギという。沖縄方言ではミーフックヮーという。 |
【症状】 |
有毒の樹液に触れたり口に含んだりした際の症状として、皮膚炎、下痢、嘔吐、めまい、不整脈、心臓麻痺があげられる。 |
【処置法】 |
①接種してしまった場合 症状が出る前に救処救急車をよび、処置を依頼する。②傷口に汁が入った場合 すぐ傷口を清潔な水でよく洗い流す。 |
【事故事例】 |
小学生が校内に植えてあるキョウチクトウの葉を食べられると勘違いして3~5枚ほど食べ、吐き気や頭痛といった症状を訴えて入院した。(参照:朝日新聞DIGITAL記事「キョウチクトウで小学生2人が食中毒 高松」2017/12/16 19:00) |
資料(メタデータ)
身近な有毒植物_ミフクラギ
斎場御嶽
御嶽とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で斎場御嶽は琉球開びゃく伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地です。
御嶽の中には、六つのイビ(神域)がありますが、中でも大庫理・寄満・三庫理は、いずれも首里城内にある建物や部屋と同じ名前をもっています。当時の首里城と斎場御嶽との深い関わりを示すものでしょう。
はるかなる琉球王国時代、国家的な祭事には聖なる白砂を「神の島」といわれる久高島からわざわざ運び入れ、それを御嶽全体に敷きつめました。その中でも、最も大きな行事が、聞得大君の就任式である「お新下り」でした。斎場御嶽は、琉球国王や聞得大君の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り」(アガリウマーイ)の参拝地として、現在も多くの人々から崇拝されています。
識名園
識名園(俗にシチナヌウドゥンと呼ぶ)は、琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用されました。1799年につくられ、1800年に尚温王冊封(さっぽう)のため訪れた正使(せいし)趙文揩、副使(ふくし)李鼎元(りていげん)を招いています。
王家の別邸としては1677年、首里の崎山(さきやま)村(現在の首里崎山町)に御茶屋御殿(ウチャヤウドゥン)がつくられました。現在の首里カトリック教会がある所です。首里城の東に位置したので「東苑(とうえん)」とも呼ばれ、その後につくられた識名園は、首里城の南にあるので「南苑(なんえん)」とも呼ばれました。
識名園の造園形式は、池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした「廻遊式庭園(かいゆうしきていえん)」です。「廻遊式庭園」は、近世に日本の大名が競ってつくるようになった造園形式ですが、識名園では、「心」の字をくずした池の形(心字池)を中心に、池に浮かぶ島には中国風あずまやの六角堂や大小のアーチが配され、池の周囲には琉球石灰岩を積みまわすなど、随所に琉球独特の工夫が見られます。
識名園はかつて、春は池の東の梅林に花が咲いてその香りが漂い、夏には中島や泉のほとりの藤、秋には池のほとりの桔梗(ききょう)が美しい花を咲かせ、「常夏(とこなつ)」の沖縄にあって、四季の移ろいも楽しめるよう、巧みな配慮がなされていました。
1941年(昭和16年)12月13日に国指定「名勝」となりましたが、1945年(昭和20年)4月、第2次世界大戦の沖縄戦で破壊されました。1975~96年(昭和50年~平成8年)総事業費7億8千万円をかけて復元整備され、1976年(昭和51年)1月30日国指定「名勝」、2000年(平成12年)3月30日に国指定「特別名勝」となりました。
2000年(平成12年)12月2日には、ユネスコ世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)として登録されました。
指定面積は41,997平方メートル(約12,726坪)で、そのうち御殿(ウドゥン)をはじめとするすべての建物の面積は、合計で643平方メートル(約195坪)となっています。
首里城
首里城は沖縄の歴史・文化を象徴する城であり、首里城の歴史は琉球王国の歴史そのものである。
首里城は小高い丘の上に立地し、曲線を描く城壁で取り囲まれ、その中に多くの施設が建てられている。いくつもの広場を持ち、また信仰上の聖地も存在する。これらの特徴は、首里城に限られたものではなく、グスクと呼ばれる沖縄の城に共通する特徴であった。他のグスクは首里城との競争に敗れ滅んでしまったが、首里城はグスクの特徴を保持しながら新たな発展を遂げたのである。
首里城は内郭(内側城郭)と外郭(外側城郭)に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成している。正殿をはじめとする城内の各施設は東西の軸線に沿って配置されており、西を正面としている。西を正面とする点は首里城の持つ特徴の一つである。中国や日本との長い交流の歴史があったため、首里城は随所に中国や日本の建築文化の影響を受けている。正殿や南殿、北殿はその代表的な例である。
首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国統治の行政機関「首里王府」の本部でもあった。また、各地に配置された神女(しんじょ)たちを通じて、王国祭祀(さいし)を運営する宗教上のネットワークの拠点でもあった。さらに、首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が数多く活躍していた。首里城は文化芸術の中心でもあったのである。
1879年(明治12)春、首里城から国王が追放され「沖縄県」となった後、首里城は日本軍の駐屯地、各種の学校等に使われた。1930年代には大規模な修理が行われたが、1945年にアメリカ軍の攻撃により全焼した。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなったが、大学移転後に復元事業が推進され現在に及んでいる。復元された首里城は、18世紀以降をモデルとしている。2000年12月には、首里城跡が世界遺産に登録された。
(引用:http://oki-park.jp/shurijo/about/)
焼失後
【報告書】沖縄デジタルアーカイブセミナー
- 開催趣旨
デジタルアーカイブは、さまざまな分野で必要とされる資料を記録・保存・発信・評価する重要なプロセスです。このデジタルアーカイブは、わが国の知識基盤社会を支えるものであり、デジタルアーカイブ学会でも、デジタルアーカイブ立国に向けて「 デジタルアーカイブ振興基本法「 仮称)」などの法整備への政策提言を積極的に行っています。今後、知識基盤社会おいてデジタルアーカイブについて責任をもって実践できる専門職であるデジタル・アーキビストが必要とされてきます。今回、沖縄で初めてデジタル・アーキビスト資格取得講座を開催しました。 - 主 催:岐阜女子大学・デジタルアーカイブ研究所
- 共 催:沖縄女子短期大学
- 後 援:北谷町・北谷町教育委員会
デジタルアーカイブ学会・日本デジタル・アーキビスト資格認定機 - 日 時:通信講習:2018年1~2月(2日間相当)
- 対面講習:2018年2月23 日(金) ~ 25日(日)
- 会 場:北谷町美浜メディアステーション(沖縄県中頭郡北谷町字美浜 16 番地 2)
日 程
2月23日
動画2月24日
2月25日
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【報告書】地域の文化資源を守り、知識基盤社会をつくりあげる人材養成講座
デジタル・アーキビスト資格取得講座
- 開催趣旨
デジタルアーカイブは、さまざまな分野で必要とされる資料を記録・保存・発信・評価する重要なプロセスです。このデジタルアーカイブは、わが国の知識基盤社会を支えるものであり、デジタルアーカイブ学会でも、デジタルアーカイブ立国に向けて「 デジタルアーカイブ振興基本法「 仮称)」などの法整備への政策提言を積極的に行っています。今後、知識基盤社会おいてデジタルアーカイブについて責任をもって実践できる専門職であるデジタル・アーキビストが必要とされてきます。今回、沖縄で初めてデジタル・アーキビスト資格取得講座を開催しました。 - 主 催:岐阜女子大学・デジタルアーカイブ研究所
- 共 催:沖縄女子短期大学
- 後 援:北谷町・北谷町教育委員会
デジタルアーカイブ学会・日本デジタル・アーキビスト資格認定機 - 日 時:通信講習:2018年1~2月(2日間相当)
- 対面講習:2018年2月23 日(金) ~ 25日(日)
- 会 場:北谷町美浜メディアステーション(沖縄県中頭郡北谷町字美浜 16 番地 2)
日 程
2月23日
2月24日
2月25日
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