城郭-9 梨打城(国府町)岐阜県私立大学地方創生推進事業, 飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ城郭-9 梨打城(国府町) 『飛州志』には「同郷(荒城郡)八日町村ニアリ同郡諏訪ノ城主江馬常陸守輝盛持分」と簡単に述べている。飛騨北部の高原郷に本拠を置く江馬氏が、荒城郷を支配し始めたのは意外に古く、15世紀末頃にはすでに支配していたと推定される。 延徳3年(1491)5月、室町幕府は守護勢力によって侵害されている北野社領飛騨国荒城郷を、江馬氏に回復を命じたとされる。このような経緯を経て、戦国時代に入ると江馬氏単独支配の地域へと変化していくのである。 16世紀になっても江馬氏が荒城郷を支配しており、天正10年(1582)小島城を攻めた江馬輝盛が荒木(城)に退いたことが判明する。 この頃すでに梨打城は江馬輝盛によって築城され、江馬氏の宿敵三木氏の領土と隣接する最前線の城として使用されていた。 天正10年(1582)10月27日、江馬輝盛は三木・小島連合軍と戦い、戦死してしまう。翌日には本拠高原諏訪城も小島氏の攻撃によって落城しており、このとき梨打城も落城したと考えられている。 伝承では小島軍が尾根続きから攻めて梨打城が落城したため、江馬軍が大敗したと伝えており、防御態勢は北側の尾根続きを警戒した縄張りとなっていた。 曲輪の周囲に土塁を巡らすケースは飛騨では非常に珍しく、この他は尾崎城にしか残っていない。富山市の論田山城は江馬氏の築城と推定され、やはり主要曲輪の周囲に低い土塁を巡らせている。 所在地 国府町八日町、漆垣内 標 高 749m 比 高 230m 資料 ⑦城郭-9 梨打城(国府町) 2023年1月27日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/01/DSCN8408_R.jpg 768 1024 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2023-01-27 16:16:152023-01-27 16:16:15城郭-9 梨打城(国府町)