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アーカイブ カテゴリー: 飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ

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江戸街道

江戸街道 飛騨から野麦峠を越えて江戸へ通ずるこの街道は、江戸まで43次85里(約337キロメートル)で、山口は最初の宿場になっていた。このうち山口町森下から水呑洞までの約6キロメートルは古い街道の姿をよく残し、史跡に指定 […]

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郡上白川街道

郡上白川街道 向牧戸城跡 向牧戸城は、寛正の初め(1460)、将軍足利義政の命を奉じた内ヶ島上野介為氏が、信濃国松代から白川郷に入り、当地に城を築き、白川郷はもとより川上郷、小鳥郷、さらには越中国砺波までを領する勢力の拠 […]

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岐阜、尾張、京都街道、東海道

岐阜、尾張、京都街道、東海道 ① 尾張街道の概要 尾張街道は、その名の通り尾張方面へ行く道で、金森時代になって整備されたが、時代によって、また、古絵図、地図によって街道名が違っている。高山が所属する郡は大野郡であったが、 […]

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平湯~高原道、中尾峠、安房峠

平湯~高原道、中尾峠、安房峠 平湯街道 ① 平湯街道の概要 江戸時代における飛騨国の国境は、標高が三千メートルもある山脈の屋根上にある。厳しい山脈に四方を囲われている飛騨だが、東の江戸へ、南の尾張へ、西の越前へ、北の越中 […]

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飛騨鰤

飛騨鰤 越中からのブリ 1,ぶりで年取りをする行事 高山では毎年、12月31日の大みそかの夜に「年取り」という行事をする。12月31日に一つ年を取るということを祝う行事である。昭和30年代までは、「数え年」で年齢を数え、 […]

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越中街道

桐生町万人講 桐生町1,456番地 昭和30年11月7日 高山市指定文化財 延宝3年(1675)、数万の餓死者をここに埋めたもので、万人坑と呼び、後万人講と書くようになった。元和元年(1681)、盲人色都が餓死者の供養塔 […]

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金閣寺・夕佳亭(宗和の茶室)

金閣寺・夕佳亭(宗和の茶室) 金閣寺  鹿苑寺は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録された。このこ […]

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武野紹鴎から千利休、宗和へとつながる遺構

武野紹鴎から千利休、宗和へとつながる遺構 武野紹鷗 文亀2年(1502)~弘治元年(1555) 大和出身の茶人・豪商。のちに堺に移り住んだ。上洛して三条西実隆に和歌を十四屋宗陳・宗悟らに茶の湯を学ぶ。堺に帰ってからは北向 […]

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京都の金森氏菩提寺(大徳寺の塔頭龍源院)

京都の金森氏菩提寺(大徳寺の塔頭龍源院) 龍源院 大徳寺の塔頭(たっちゅう)の一つで、大徳寺南派の本庵である。 文亀2年(1502)に大徳寺第72世住職・東渓宗牧(とうけいそうぼく)を開山として、能登(現在の石川県)の領 […]

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日光東照宮ほか2件の金森寄進の灯篭

日光東照宮ほか2件の金森寄進の灯篭 光東照宮、上野東照宮、亀戸東覚寺の燈籠 ① 日光東照宮内・陽明門下方の中神庫前に金森重頼寄進の灯籠が並ぶ。 金森重頼寄進の灯籠の右に中神庫、左に上神庫がある。 金森重頼寄進の灯籠銘文 […]

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江戸・芝の金森屋敷跡

江戸・芝の金森屋敷跡 太政官布達公園 日本で最も古い公園の一つ 芝公園  公園がまだなかった江戸時代、江戸は庭園都市と呼ばれるほどに多くの庭園があった。しかしこれらは大名や旗本などの屋敷がほとんどで、江戸庶民にとって身近 […]

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