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朱雀門

朱雀門 7世紀にできたとされる古代の街道「下(しも)ツ(つ)道(みち)」は、藤原京からまっすぐ北にのびて平城京の正門(せいもん)である羅(ら)城門(じょうもん)につきあたる。羅城門をくぐると、幅75mもの朱雀大路がまっす […]

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唐招提寺

唐招提寺      ・唐招提寺は天平宝字3年(759)、唐の高僧鑑真大和上によって創建された。飛鳥時代に仏教が伝来して以来、戒律は概念として知られながらも、さほど重視されていなかった。奈良時代に入り、その重要性が知られ始 […]

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平城京

平城京 唐と新羅が再編成した東アジアで、日本が生き残るためには、強力な政府を建設する必要があった。政府は先進国の唐帝国を手本にして国を統治する律令制度を導入し、仏教の国教化を促進してゆく。飛鳥浄(きよ)御(み)原(はら) […]

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飛騨町

飛騨町 飛騨町一帯には飛鳥、奈良時代、木工に秀でた多数の飛騨匠が飛騨から招集され、日本初の都城・藤原京造営のため長く住んでいたと伝えられている。 藤原京造営が終わったあとの天平勝宝8年(756)に、孝謙天皇が当地の「飛騨 […]

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寿楽寺

寿楽寺 『日本書紀』朱(しゅ)鳥(ちょう)元年(686)の記事に、大津皇子謀反事件に関与したとして、新羅の僧・行(こう)心(じん)(幸甚)が飛驒国伽藍へ流された事件がある。行心は死罪を免じられ、飛騨国の寺院に流された。大 […]

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法隆寺

法隆寺 607年(推古15年)、聖徳太子こと厩戸皇子(用明天皇の皇子)が父・用明天皇のために創建した。聖徳太子は推古9年(601年)、飛鳥からこの地に移ることを決意し、「斑鳩宮」の建造に着手、推古13年(605年)に斑鳩 […]

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飛鳥大仏

飛鳥大仏 重要文化財1940年指定、名称「銅造釈迦如来坐像(本堂安置)1躯」、像高は275.2cm 『日本書紀』や『元興寺縁起』に見える「鞍作鳥(止利仏師)」作の本尊像で、後世の補修がある。鞍作鳥は、法隆寺金堂本尊「釈迦 […]

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月ヶ瀬 飛騨匠の碑

月ヶ瀬 飛騨匠の碑  帰化人である鞍部多須奈が用材を求めて飛騨入りし、天生山中の月ヶ瀬(飛騨市河合町)に住む九郎兵衛の娘「忍」と結ばれて子供を授かった。生まれた子は鳥のような首をしていたので「鳥(とり)」と名付けられたと […]

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桜山八幡宮

桜山八幡宮 <祭神>応神(おうじん)天皇・熱田(あつたの)大神、香椎(かしいの)大神 末社 稲荷(いなり)神社、天満神社、秋葉神社、難波根子武振熊(なにわねこたけふるくまの)命など <由緒> 桜山八幡宮の創建は、遠く仁徳 […]

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両面宿儺

両面宿儺 両面宿儺は高山市丹生川町が出生の地と伝わり、丹生川町の千光寺や出羽が平(現在の飛騨大鍾乳洞近辺)、日面の善久寺、武儀の日龍峰寺などに伝承がある。『日本書紀』では大和朝廷に背いた朝敵として扱われているが、飛騨や美 […]

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【セミナー】飛騨匠フォーラムin飛騨センター

【セミナー】ひだの匠はいいもんだ(平成30年3月18日) 飛騨匠の通った道 講師:田中彰・三島信 飛騨の古墳の被葬者は 講師:牛丸岳彦 飛騨の匠のあしあと~今に残る飛騨の匠の足跡と伝説を求めて~ 講師:家始義光 飛騨の匠 […]

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白山文化の里

白山文化の里 白山を開いた高僧、泰澄は越前・加賀と共に、美濃にも登拝拠点を置きました。 これが、白山長滝寺や長滝白山神社の残るこの地域一帯です。 東海からの登拝口とされ、最盛期の鎌倉時代には六谷六院三百六十坊を数え、 「 […]

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