岸劔神社

岸劔神社
祭神は素戔嗚尊・伊奘册尊・伊奘諾尊・菊理姫尊などである。気良村(奥明方村)字鳥居宮で、ある年連日の旱魃に神主が再三雨乞いをしたが霊験はなく、ついにこの村の氏神の御神体の宝劔を取り出して2間手村(奥明方村)の境の川岸で劔を洗ったところ、急に雲がわき起こり雨が激しく降りだした。その劔を岩上に置きなお祈祷を続けていると川水が急に増し劔を押し流してしまった。(以後この岩を神流岩という)数日後山田荘八幡城下の吉田川の岸(現在の宮ケ瀬橋の下)の岩間に劔のかかっているのを清水彦右衛門がみつけ自分の家に持ち帰った(現在この岩をかかり岩という)。郡上城主遠藤慶隆はそのことを聞き、慶長19年(1614)城下本町の宮ケ瀬橋の近くに社殿を建立し、この劔を祭り岸劔神社と名付け清水彦右衛門を神職とした。明治19年に現在の社殿の南側の低地に移転し、同40年2月無格社白山神社と合併し、3月27日神饌幣帛供進神社に、同41年12月26日には神社会計規定適用神社に指定され、昭和17年に現在の境内に移った。境内は97坪あり、神明造りの本殿(間口3間・奥行2間)・入母屋造りの幣殿(間口3間・奥行2間)・同拝殿(間口5間・奥行5間)・狛犬・燈篭などがあり、また文政4年に建立した大燈篭(高さ約2間)がある。