長敬寺郡上白山文化遺産デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ長敬寺 長敬寺(ちょうきょうじ)は、岐阜県郡上市にある浄土真宗大谷派の寺院。 慶長6年(1601年)に八幡城主遠藤慶隆は、古今伝授の祖といわれる東常縁の玄孫の正勧坊正欽が、飛騨高山の照蓮寺にいると聞き及び、これを招いて創建し、自らの菩提寺とした。 慶応4年(1868年)4月、江戸城開城に際し、郡上藩士45名が凌霜隊を組織し、会津藩の救援に向かい一緒に新政府軍と戦った。9月に会津藩が降伏すると同隊は郡上に護送され獄舎に入れられた。犠牲者が出るに及び、明治2年に城下寺院の嘆願により長敬寺に移され、明治3年に釈放された。 (引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%95%AC%E5%AF%BA) 資料集 046_049_長敬寺 2019年5月23日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2019/05/190523-132014-018A0811_R.jpg 768 1024 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2019-05-23 18:20:102021-03-11 18:42:18長敬寺