三十三間堂

三十三間堂
国宝|千手観音坐像
千手観音坐像は蓮華王院の本尊で、鎌倉時代後期の仏師、湛慶(たんけい)とその弟子たちによる作品です。左右1000体の立像の中央、高い位置に安置されています。高さ3.35m、背後の光背まで含めると約7mにも及ぶ大きな坐像はヒノキ材の寄木造りで、漆を塗った上に金箔が施されており、国宝に指定されています。42本の手で「千手」を表現し、尊くも暖かい表情が特徴的です。
国宝|千体千手観音立像
中央に鎮座する千手観音坐像の両脇に配置されています。左右10列の各段に50体ずつ整然と並ぶ様子は壮観で、三十三間堂ならではの景色といえます。坐像の背後にも立像が1体安置されており、立像だけで1001体という数です。
本尊と同じヒノキの漆箔に寄木造りで、一体一体が11の顔と40の手を持っている、なんとも巧緻な作りです。1249年の火災でそのほとんどが失われ、創建時の平安時代の像は124体が残るのみ。あとの像は全て鎌倉時代に16年をかけて再興され、日本中の著名な仏師たちがこの一大国家プロジェクトに関わりました。一体一体魂を込めて作られた仏像たちは、それぞれ違った表情を湛えており、会いたい人に似た顔の仏像を見つけることができるとも伝えられています。2018年、国宝に指定されました。
風神雷神と二十八部衆
二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)とは、千手観音の眷属(使いの者)のことです。三十三間堂では、二十八部衆に風神、雷神を加えた30体もの等身大の仏像が、千体仏の前に立ち並びます。ヒノキの寄木造りで彩色が施されており、二十八部衆のそれぞれの神様に基づいた造作です。甲冑を身に着けた像や、楽器を手に持つ像など、それぞれがユニークな表情や姿を表し、千手観音像とは異なった趣があります。
太閤塀
太閤塀(たいこうべい)は桃山時代に、豊臣秀吉の寄進により建てられた、泥土をつき固めたつくりの築地塀です。秀吉が権勢誇示のために建立した大仏殿方広寺(だいぶつでん ほうこうじ)の塀として、南大門とともに造営されました。現在は方広寺は失われており、この太閤塀と南大門のみが残っています。
太閤とは、関白の位を子孫に譲った者を指す称号を意味します。豊臣の家紋である「桐紋」があしらわれ、当時秀吉が太閤であったことから、太閤塀と呼ばれています。桃山文化の気風に溢れた作りで、国の重要文化財に指定されています。
三十三間堂の歴史
三十三間堂という名前は、南北120mに渡る大きな本堂の内陣に「33の柱間」があるという特徴から由来します。「三十三」という数字にも理由があり、観音様が人々の救済のため「三十三の姿に変化する」というエピソードに基づいています。
三十三間堂は蓮華王院の本堂として、1164年に平清盛の寄進により、後白河上皇の法住寺殿内に離宮として建てられました。創建当時の外装は朱塗り、建物の内部は花や雲文様などが極彩色で彩られ、豪奢な作りだったと伝えられています。
創建から80年後に焼失してしまいましたが、後嵯峨上皇によって1266年に再建されたものが現在まで残っています。室町時代に入ってから足利義教により本格的な修復が行われ、全てが完成するまでには5年もの年月を費やしたといわれています。
国宝にも指定されている千手観音坐像を作った湛慶は、東大寺南大門の金剛力士立像を作ったことで有名な運慶の息子です。千手観音坐像は、湛慶にとって生涯最後の傑作となりました。
千手観世音菩薩はねずみ年の守護本尊でもあります。ねずみ年生まれの人はより一層のご利益を願い、参拝に訪れてみてはいかがでしょうか。
三十三間堂の伝統行事
通し矢|大的大会
桃山時代から行われているという「通し矢(とおしや)」は、仏堂南端から120mの距離を弓で射通し、その矢の数で競います。江戸時代には、「大矢数(おおやかず)」と呼ばれる競技が人気を博しました。一昼夜に千本から一万数千本を射つづけ、その数の多さで競います。武芸者の強靭な肉体と研ぎ澄まされた精神を見せつけるこの競技は、特に尾張、紀州の二藩の間で盛んとなり、京都の名物行事までなりました。
この通し矢にちなんで、現在は毎年1月中旬の日曜日に「大的大会」が行われ、全国の弓術家がその腕を競っています。大会当日は境内が無料開放され自由に見学ができるため、大勢の見物客で賑わい、正月の雰囲気を盛り上げます。
春桃会
春桃会(しゅんとうえ)は「三十三間堂」の名前にちなんで、「三」の重なる3月3日に行なわれる法要行事です。華道の名家である池坊の献華式と華展、寄席などが催され、境内は無料開放されます。参拝者は、ひな祭りにちなんだ女性専用の「桃のお守り」をいただくことができます。
楊枝のお加持
楊枝のお加持(やなぎのおかじ)とは、平安時代から続く伝統的な法要です。大的大会と同じ1月中旬の日曜日に行われ、境内が無料開放されます。三十三間堂を管理する妙法院の門主などの僧侶が、聖樹とされる柳で、祈願した法水を参拝者の頭に注ぎ、病気平癒を願います。この風習は、頭痛に悩まされていた後白河上皇が楊枝の里(やなぎのさと)の柳を三十三間堂の棟木に使ったところ、頭痛が治まったという逸話に由来しています。頂いた柳の小枝は、頭痛平癒にご利益があるといわれています。
三十三間堂のお守り
後白河上皇の病気平癒の逸話から、三十三間堂では頭痛封じのお守りを受けることができます。悪疫退散、難病除けに功徳のある「悪疫守護お守り」も授与しています。また境内にある「夜泣泉」のお地蔵様のよだれかけは、夜泣き封じにご利益があると伝えられています。
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