位山八幡神社

位山八幡神社
創建年代は不詳。国説に、仁徳天皇六十五年、飛騨国両面宿儺追討の勅命を奉じた武振熊命(たけふるくまのみこと)が、この地に先帝応神天皇の尊霊を奉祀し、戦勝を祈願されたところで、祭場遺跡とある(「飛騨八幡八社」の一つ)。また、里伝に宮坂の現地と、森の幅、上馬瀬戸にあった三社を、合併合祀したとも伝えられている。
当社は、律令制下の東山道の官道筋にあった。元禄検地で一反六畝十歩の境内除地があった。明治維新に村社に列格した。
この地は古来、大野郡久々野郷に属し、一宮神領として一村区一神社であったが、昭和三十一年に益田郡萩原町に合併し、神社も益田郡支部川西部会に編入されて、社名も「位山八幡神社」と改称された。
創建以来の記録は少なく、棟札には文政十年、嘉永元年、大正二年などに拝殿を再建したことが分かる程度である。
本殿は小社ながらも郡内における代表的な建築様式(流造入宝殿)である。
祀職は歴代一宮より兼任し、祭祀もまた一宮の御祭札を縮小した規模のものであった。
なお、境内には、県指定天然記念物の「夫婦杉」、「一位樹」がある。
鎮座地 萩原町山之口字神屋1,272番地
1.祭神 主神 応神(おうじん)天皇
            仁徳(にんとく)天皇
            神功(じんぐう)皇后
    配祀 氏子出身靖国の神霊30柱
.由緒 創建年代は不詳であるが、国説に、第16代仁徳天皇の65年、飛騨国両面宿儺追討の勅命を奉じた武振(たけふる)熊(くまの)命は、進軍の各所で先帝応神天皇の尊霊を奉祀し、戦勝を祈願された祭場遺跡であろうと称せられる。中津原・乗政・森・久津・一宮・石浦・高山等とともに「飛騨八幡八社」の1であるとも伝えられている古社である。
  第42代文武天皇の大宝律令制定による、東山道の官道筋であったが、後天正年間(1573~1591)金森長近が、飛騨国主となると、位山の険を避けて、上呂より小坂・久々野・一宮に至る河内路を、公道に切り替えたので、かつての道は廃道となり、大正の頃まで、もっぱら高山に至る歩道として利用された。
  また、里伝に宮坂の現地と、森の幅・上馬瀬戸にあった3社を、合併合祀したとも伝えられる。
  戸田釆女正による元禄検地には、境内社地に1反6畝10歩の除地を受け、明治維新には村社に列格し、同40年神饌幣帛料の供進指定、並びに神社会計適用指定を受けた。
  この地は古来、大野郡久々野郷に属し、一宮神領として1村1区1神社であったが、昭和31年に益田郡萩原町に合併し、神社もまた益田郡支部川西部会に編入されて、社名も「位山八幡神社」と改称された。
  創建以来の記録は少なく、棟札には文政10年・嘉永元年・大正2年等に、拝殿を再建したことが分かる程度である。
  本殿は小社ながらも郡内における代表的な建築様式である。
  祀職は歴代一宮より兼任し、祭祀もまた一宮の御祭礼を縮小した規模のものであったが、戦後過疎化や祀職怠慢などにより、祭祀・施設等荒廃に帰したが、今や復興の声も氏子内外にあがりつつある現状である。
  終戦後、神社林の伐採により、往時の景観を失ったのは、遺憾なことである。しかし、なお境内には、県指定天然記念物の「夫婦杉」・「一位樹」等がある。
.祭祀 例祭5月1日・2日(制定日 5月2日)。神幸祭・神代踊・闘鶏楽等がある。祈年祭3月10日。新嘗祭11月23日。
.建造物 本殿(流造入宝殿 4.5坪)・覆殿(平棟造 6坪)・幣殿(平棟造 15坪)・拝殿(平棟造 20坪)・手水舎(平棟造 1.5坪)・鳥居(石造明神形 高2間 幅9尺)・神庫(3坪)。
.宝物その他 〇円空作神像 3軀。
 〇狛犬 1対(陶器製 茶褐色)。
 〇棟札 5枚。
 〇夫婦杉(岐阜県指定天然記念物)。
 〇イチイの大木(岐阜県指定天然記念物)。
.境内地 2町2反5畝3歩。
.氏子 山之口全戸を含む、130戸。
<引用文献>土田吉左衛門編集『飛騨の神社』1,148~1,150頁 飛騨神職会発行 昭和63年