大門神社

大門神社
奉納 大門神社 
所在地 さいたま市緑区大門字東裏二九三三 
創立 不詳 明治十三年三月十五日拝殿債権着工 
      仝 十一月二十三日 竣工 
主祭神 一、 天神七代之大神 
    一、 地神五代之大神 を奉斎 
境内神社 
摂社 愛宕神社 
   御嶽社・浅間社  
   天神社・稲荷社 
祭儀 
一月一日 歳旦祭 
七月二十四日 愛宕社例大祭 
九月十九日 例大祭 
十二月三十一日 大祓い  
行事 
七月中旬(日曜日)八坂神社祭 
十一月吉日 七五三祭
由来 
大門神社は住吉十二所社と称し旧大門村、下野田村の鎮守の神として下野田に鎮座せしものと伝ふれどその記録又は、旧蹟等も認められずに、古来より現今の神域に鎮座せしものと推考される。 
明治初年、神仏分離令により、明治六年四月大門村村主に列せられる。 
明治四十年六月十四日大字大門地内、下野田地内、玄蕃新田地内に鎮座せる神社(十社)を合祀し以って十二所社の社号を  
宗教法人 大門神社と改称す。 
大門神社 総代 
平成七年七月吉日
場所:埼玉県さいたま市緑区:大門神社
収録されているシリーズ:
『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店):「釘付の竜」
タグ:封じられる竜蛇の像/竜蛇と〝左〟
寺社の蟇股などに彫られている木彫りの竜は、その出来が良過ぎると時として「抜け出して」悪さをする。人を驚かせるくらいならまだしも、洪水を起すことまであるというのだからたまったものではない。
中には抜け出したところを和尚さんに見つかり叱りとばされビックリしたので以後出なくなる、などという小心な竜もいるにはいるが、大概はその本体の木像が切り分けられたり目に五寸釘を打ち込まれるなどして封じられる顛末となる。
さて、身も蓋もない話だが、伝説というのは大概「前後を逆転させる」ことによりその結構となっているものだ。動き出す木彫りなどない。その竜は「打ち封じられるために彫られた」のである。抜け出す木彫りの竜の話はこの逆転の流れを見るのにちょうど良い。特に分かりやすい例を紹介しよう。
釘付の竜:引用
むかし、この神社の裏の池に、雌雄の竜がすんでいた。竜が田んぼに姿を現すとその年は必ず大洪水がおこり、農民は大変苦境にたたされた。そこで神官や名主たちが相談した結果、竜が池の外に出ないように毎年七月二十七日には、池の周囲に酒肴をそなえて供養した。
しかしこの方法はまったく効果がなかった。そんなある日、左甚五郎が日光参詣の途中、この地に泊まってこの竜の話を聞き知った。せわになったお礼のしるしにと、村人のために竜の彫刻をし、拝殿に取りつけてから頭、胴、尾の三か所を五寸釘で打ちつけ、封じ込めのまじないをした。以後、竜も出ないし、洪水の災難もなくなったといわれている。すっかり平和を取りもどした村は、再び静かな暮らしをつづけてきたのだという。
角川書店『日本の伝説18 埼玉の伝説』より引用
この伝説の神社は同書では愛宕神社とあるが、今は大門の「大門神社」の境内社となっている愛宕神社のようだ。大門神社そのものの拝殿木彫りの竜が左甚五郎作の「釘付の竜」なのだと記述しているところもあるが、現在も境内社愛宕神社の御本殿の竜像がこの甚五郎の竜である。
そして、西北西に2.6kmほどの所の曹洞宗の古刹・国昌寺の山門の竜にも、竜の木像は左甚五郎の作で、見沼が溢れると抜け出してのたうち回るので和尚に太い釘を打ち込まれ、以降抜け出さなくなった、という話が伝わる。