大雄寺山門(県指定重要文化財)

大雄寺山門(県指定重要文化財)
所在地   高山市愛宕町67番地
所有者   大雄寺
指定年月日 昭和47年9月18日
構造形式  重(じゅう)層(そう)入(いり)母(も)屋(や)造(づくり) 銅板葺(どうばんぶき)
 大雄寺は、もと吉城郡上広瀬村(国府町)にあったが、金森氏入国後現在地に移され、浄土宗の道場となった。上広瀬には「大雄寺屋敷」という地名が残っている。市内唯一の楼門造で、法華寺、宗猷寺の本堂と共に東山寺院群伽藍の代表的な建物である。
 12本の丸柱は太く、カツラ材である。通常のヒノキやスギではなく、カツラやクリ、マツなど多彩な木材を使うことも、木材を知り尽くした飛騨匠の技の大きな特徴である。落し込み板で囲まれた仁王座前の南北が、透し菱形欄間になっている。透しを通して東山の景観を見せようとの配慮からである。両脇に仁王像を安置している。
 二層柱間は下層より狭く、柱頭の二(ふた)手(て)先(さき)和様斗組(ますぐみ)が深い飛(ひ)檐(えん)軒を支える。下層屋根上に三(みつ)斗(と)組腰組で縁を張り出し、高欄で四面を囲む。ここからの市内の眺めはすばらしい。
 寬政3年(1791)の大風で倒壊したが、17年後の文化4年(1807)、飛騨(ひだ)権守(ごんのかみ)宗安(むねやす)の流れをくむ近世の名工水(みず)間(ま)相模(さがみ)の手で再建された。
説明板より
 〈市指定〉昭和47年9月18日
 〈所有者〉大雄寺
 〈所在地〉愛宕町67番地
 〈時代〉文化4年(1807)
 〈員数〉1棟
  楼門(1棟)桁行7.85m、梁間4.53m、重層入母屋造、銅板葺
 大雄寺は、もと吉城郡上広瀬村(国府町)にあったが、金森氏入国後現在地に移され、浄土宗の道場となった。上広瀬には「大雄寺屋敷」という地名が残っている。(『飛州志』)
 市内唯一の楼門造で、法華寺・宗猷寺の本堂とともに東山伽藍の代表的な建物である。
 12本の丸柱は太く、カツラ材である。落し込み板で囲まれた仁王座前の南北が、透かし菱形欄間になっている。透かしを通して東山の景観を見せようとの配慮からである。両脇に仁王像を安置している。
 下層柱間より逓減(次第に減る)された柱頭に、二手先和様斗(と)栱(きょう)が深い飛(ひ)檐(えん)軒を支え、下層屋根上に三(みつ)斗(と)組腰組で縁を張り出し、高欄で4面を囲む。ここからの市内の眺めは素晴らしい。
 寛政3年(1791)の大風で倒壊したが、17年後の文化4年(1807)、飛騨権守(ごんのかみ)宗安(むねやす)の流れを汲む近世の名工水間相模(みずまさがみ)の手で再建された。
参考文献
『高山の文化財』52~53頁 高山市教育委員会発行 平成6年

 

関連資料

1-3-4-1 大雄寺山門(県指定重要文化財)・概要

1-3-4-2 市指定・大雄寺山門