守山市の矢嶋町などの史跡と琵琶湖

守山市の矢嶋町などの史跡と琵琶湖
金神社由緒
金神社(金大明神)
祭神 金山毘古神(かなやまひこのかみ)
境内神社
日吉神社
祭神 大山咋命(おおやまくひのみこと)
稲荷御崎神社
稲荷金高神社
祭神 宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)
金神社(金大明神)
 益須寺(やすでら)を守り、すべての村の繁栄と安全を祈願するため、天武天皇の命令により、白鳳7年4月13日に義観法師が大和国吉野金峰山から御霊をお迎えしてお祀りした。
 もと金大明神と称したが、明治の初期に金神社と改められた。
 また、金森の地名は、金大明神が江州益須郡に鎮座されたことから名付けられた。
説明板より

中山道守山宿
守山は古来、東山道の宿駅として栄えた。江戸時代に入り、東山道から中山道に改められた。寛永19年(1642)守山宿は、徳川幕府より、中山道の正式宿場としての制札が下され、認可された。中山道は板橋(東京都)から守山までの67次で守山は最終宿場であった。
江戸時代、旅人の1日の行程は8里(約32キロ)から10里(40キロ)であった。京都三条大橋から守山までが8里6町(約34.4キロ)でこの行程にあたる。京都から中山道を通って江戸方面に行く(東(あずま)下(くだ)り)人たちは守山で泊まった。このことから「京だち守山泊まり」と呼ばれ、守山は明治維新まで繁栄した。
  平成25年5月
中山道守山宿歴史文化保存会
守山市観光物産協会
説明板より

守山市指定文化財 史跡 大庄屋諏訪家屋敷
諏訪氏は暦応3年(1340)に諏訪(すわ)円(えん)忠(ちゅう)が足利尊氏に従って信州から地(じ)頭(とう)として赴任してきたことに始まる。以後、江戸時代には代官をへて小津郷の大(おお)庄(じょう)屋(や)として活躍した。
広大な屋敷には、主屋・書院・茶室・土蔵・庭園がある。主屋と接客用の書院を伴う珍しい構造で、江戸時代後期に建てられたと考えられる。茶室は明治7年に大津の円満院から移築されたものである。元禄12年(1699)銘の鬼瓦から建築年代が明らかで、門跡(もんせき)寺(じ)院(いん)の茶室建築として大変貴重である。庭園は東庭が枯(かれ)山水(さんすい)の平庭、北庭が池(ち)泉(せん)回遊式(かいゆうしき)の池庭とする。両庭とも苔むし、多数の石組みや石燈籠(いしとうろう)、手水(ちょうず)鉢(ばち)を配するなど、趣向をこらしたつくりである。
また、茶室裏を流れる大川(釈迦堂川)から屋敷地内へ舟が出入りできる水門のくぐり石や屋敷入口の見事な石橋など、随所に大庄屋屋敷の風格がみられる。
このような江戸時代の建築様式を伝える当屋敷は大変貴重で、昭和52年4月に守山市史跡に指定された。
  平成24年10月                       守山市教育委員会
説明板より

 

関連資料

2-28-1 金神社由緒

2-28-2 中山道守山宿

2-28-3 守山市指定文化財 史跡 大庄屋諏訪家屋敷