安土城下の金森屋敷跡

安土城下の金森屋敷跡
(琵琶湖「西の湖」のほとりに金森屋敷はあった)
滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
 織田信長が安土城築城を命じたのは天正4年(1576)正月のことである。信長は同年2月に岐阜より安土城に移り、天守閣を5年で完成させている。安土城下は楽市楽座でにぎわい、武家屋敷も短期間に整備された。しかし、天正10年(1582)、本能寺の変で天守閣は焼失してしまった。
 信長の重臣であった金森長近は安土城下に武家屋敷を構えていたが、その場所は長い間わからなかった。平成24年(2012)、安土城の「遺跡発掘調査事務所」に調査を依頼したところ、「金森」の地名伝承が昭和60年(1985)に調査されていたことがわかった。そこは「西の湖」のほとりで、現在の町名は金森ではないが、住民の地名伝承により伝えられ続けてきたという。秀吉、家康、前田利家は安土城の城郭内部に屋敷を持っていたが、長近は湖のほとりに屋敷を構えていたことになる。この場所は琵琶湖の水上交通の要になるところであった。「金森」の地名が残る場所に、今は福祉施設が建つ。

 図は「織豊期の都市法と都市遺構」小島道裕『国立歴史民俗博物館研究報告 第8集』第一法規出版株式会社 昭和60年12月20日発行の掲載図面による。

リーフレットより

 

関連資料

2-8-1 織田信長と安土城年表

2-8-2 安土城下の金森屋敷跡(琵琶湖「西の湖」のほとりに金森屋敷はあった)