市指定・松倉観音

市指定・松倉観音
 〈市指定〉昭和56年9月8日
 〈所有者〉素玄寺
 〈所有者〉松倉町2147番地
 〈時代〉江戸時代
 〈員数〉3棟
  観音堂(3棟)普門院、大悲閣、お籠堂
 元禄5年(1692)領主・金森頼旹(よりとき)が出羽国(山形県)上之山へ移封された後、故あって高山を離れ京都の泉涌寺に入っていた天電高幢(てんでんこうとう)和尚が帰郷し、松倉山窟に馬頭観音の堂を建てた。これが普門院といわれている。
 松倉観音は素玄寺の守護により旧暦7月9日近郷の村人が堂の内外に宿泊し養蚕の繁栄を祈り、翌10日は村々の馬を飾り参詣し、牛馬の無病息災を祈願した。この風習が現在も松倉絵馬市として残されている。この建物は普門院、大悲閣、お籠堂からなり、通称松倉観音堂といわれている。
参考文献
『高山の文化財』208~209頁 高山市教育委員会発行 平成6年3月31日

飛騨の絵馬(紙製)
「絵馬」とは、お祈りやお願いのために、神社やお寺に奉(ほう)納(のう)する絵の額(がく)のことをいう。生きた馬の代わりに絵に描いて奉納したのが始まりで、屋根形の板に描かれた小絵馬や大形の額絵馬(大絵馬)などがある。現在でも、神社で「合(ごう)格(かく)祈(き)願(がん)」、「家内安全」などの願い事が書かれた絵馬がたくさん掛(か)けられている。
飛騨の「絵馬」は、全国的にも珍しい紙製であり、神社だけではなく、それぞれの家の玄関に貼(は)る。古くは牛馬の安全や稼(かせ)ぎなどを祈願したものであった。牛馬は外で働くものなので、農家では外に向けて貼っていたといわれる。
一方、商(しょう)家(か)などでは、家の内側に向かって馬が駆(か)け込むように紙絵馬を貼って、商(しょう)売(ばい)繁(はん)盛(じょう)や家内安全などを祈願する縁(えん)起(ぎ)物(もの)として、現在では、この貼り方が一般的になっている。
説明板より
松倉絵馬市の由来
松倉山観音堂の本尊馬頭観世音菩薩は、古来牛馬の守護仏として信仰を集め、毎年8月9・10日の縁日法要には近郷はもとより遠くは高原郷、阿多野郷から、飼育している牛馬を美しく着かざって参詣し、牛馬の安全、さらには五穀豊饒を祈った。しかし参道を牛馬を引いて参詣することは大変困難を伴うので江戸後期、牛馬の代参として、絵馬をたずさえて参詣する人が増え、さらにはそうした人々の要望に応ずるように絵馬市が出来た。
町に住む人達もそれに習って家内安全、商売繁栄の縁起物として求めるようになり、絵馬市は盛んになった。
松倉絵馬には当時の素朴な参詣の牛馬の姿がそのまま写されている。
説明板より

史跡 松倉観音堂
高山市指定 昭和56年9月8日
 この建物は普(ふ)門(もん)院(いん)、大(だい)悲(ひ)閣(かく)、お籠(こもり)堂(どう)からなり、通称松倉観音堂といわれている。
 元禄5年(1692)領主・金森頼(より)旹(とき)が出羽国(山形県)上山(かみのやま)へ移封されたあと、故あって高山を離れ京都の泉(せん)涌(にゅう)寺(じ)で修業していた天(てん)電(でん)高(こう)幢(とう)和尚が帰郷し、松倉山窟馬頭観音の前にお堂を建てた。これが普門院といわれている。
松倉観音は素(そ)玄(げん)寺(じ)の守護により旧暦7月9日近郷の村人が堂の内外に宿泊し養蚕の繁栄を祈り、翌10日は村々の馬を飾り参詣し、牛馬の無病息災を祈願した。この風習が現在も松倉絵馬市として残されている。
松倉絵馬市は、毎年8月9・10日に開催される。観音堂の本尊馬頭観音は、普段高山市内の東山寺院群の中にある素玄寺にあるが、8月9・10日は、松倉観音に移され、夜を徹して法要が営まれ、絵馬市が開かれる。また、10日の夕方には本尊を素玄寺に戻し、夜まで法要と絵馬市が行なわれる。
市内はもとより、全国各地から絵馬を買い求めて、多くの方が松倉観音へお参りされる姿は、夏の飛騨高山を代表する風物詩のひとつであり、民間信仰にかかわる習俗として貴重なものといえる。
説明板より

 

関連資料

1-3-21-1 市指定・松倉観音

1-3-21-2 飛騨の絵馬(紙製)

1-3-21-3 松倉絵馬市の由来

1-3-21-4 史跡 松倉観音堂