日龍峯寺

日龍峯寺
本堂 岐阜県指定重要文化財
 本堂は間口6間(15.6m)奥行5間(12.6m)の入母屋(いりもや)造りで、高澤山中腹の岩上傾斜地に建立されている。前方は舞台造りで京都の清水寺によく似ており、美濃の清水として親しまれている。寺伝では鎌倉尼将軍 北条政子寄進であったが、惜しくも応仁・文明の乱の戦火により焼失したと言われる。現在の本堂は寛文10年(1672 ※寛文10年=1670)の建造物である。
 堂内正面にはご本尊の千手千眼観世音菩薩、脇佛は毘沙門天・不動明王、堂内東側には寺開創の両面宿儺(りょうめんすくな)、堂内西側には弘法大師が祀られている。また当寺は美濃西国三十三観音霊場一番札所、中濃八十八ヶ所霊場六十一番札所である。
*説明版より
籠堂 岐阜県指定重要文化財
 籠堂(こもりどう)は文化3年(1806)建立で、岐阜県内では当寺のみ存在する大変貴重な建造物である。 当時より修行僧や参詣者が堂内に籠り修行を行なう場であり、在りし日の盛況が偲ばれる。
*説明版より
両面宿儺 (りょうめんすくな)
 自伝によると、仁徳天皇の時代(5世紀前半)飛騨の国に両面宿儺(りょうめんすくな)という豪族がいた。両面宿儺は当地の豪族として権勢を誇っていた。この異人、天皇の叡聞に達し都に上り、御対面した。その帰り、美濃加茂野ヶ原で休憩していると、何処からともなく鳩2羽が奇端(めでたい事の前兆)のさえずりをなして、高沢の峰に飛び去った。異人不思 議に思い、里人に尋ねると、「高沢の山脈に他あり、神龍住みて近郷の村人に危害を及ぼす」と聞き、はるかの峰に登り大悲の陀羅尼を唱え神龍を退散させ、この峰に寺を開祖したと云う。
*説明版より
龍神の池
  日龍峯寺(高澤観音)に伝わる縁起によると、仁徳天皇の時代、飛騨の国に顔が2つ手足が4つある両面宿儺(りょうめんすくな)という異人がいた。両面宿儺がこの地を通りかかった時、どこからともなく2羽の鳩が飛来し、不思議なさえずりをして、ここ高澤山の峰の方向に飛び去った。
 両面宿儺は奇異の念を抱き、村人に尋ねると「高澤山に池があり、その池に住む龍が村人に危害を及ぼしている」と聞かされ、両面宿儺は高澤山に登りその龍を退治し、ここ高澤山に開山したと伝えられている。
 龍を退治した時、その血が参道沿いの谷を流れたので、その地(現在の多良木地内)を「血野」と呼び、退治した龍の尾が飛び、立ったところから「尾立」(現在の西洞大立)と、昔の伝説を地名に残している。
 鎌倉時代には、全国的に旱魃(かんばつ)に見舞われ大飢餓の時期があった。時の尼将軍・北条政子の夢枕に神龍が飛来し「美濃日龍峯寺に池あり、法華経1,000巻を写経し供養して池に納めればたちまちに降雨あり」と伝えた。
 道運という高僧に命じて供養すると、夢のお告げのとおり雨が降り五穀が実った。尼将軍はこれを喜び、日龍峯寺に7堂伽藍を寄進したと、縁起に記されている。その時に建立した多宝塔が今にその姿を残している。
 この度、「龍神の池に神龍を迎えれば寺の興隆あり」とのお告げにより、1,600有余年の年月を経て、この池に新たに良い神龍を迎えるに至った。
*説明版より

 

資料集
080_087_日龍峰寺