朱雀門

朱雀門
7世紀にできたとされる古代の街道「下(しも)ツ(つ)道(みち)」は、藤原京からまっすぐ北にのびて平城京の正門(せいもん)である羅(ら)城門(じょうもん)につきあたる。羅城門をくぐると、幅75mもの朱雀大路がまっすぐ北へのびていた。街路樹として柳の木が植えられていたといい、羅城門から4km先には平城宮の正門である朱雀門がそびえ建つ。
 朱雀門の左右には高さ6mの築地(ついじ)塀(べい)がめぐり、約1km四方の広さ、130haの広さをもつ平城宮を取り囲んでいた。朱雀門の前では新羅(しらぎ)や唐(とう)といった外国使節の送迎、都の男女があつまって、恋の歌をかけあうのを天皇がみるというイベントもここで行なわれた。元日には儀式があり、天皇が朱雀門まで出向き、新年のお祝いをすることもあった。朱雀門は衛士(えじ)によって守られ、いつもは開いていなかった。平城宮12の門のうち、最も重要な門であった。平城宮の正門としてその雄姿を誇示していた。
朱雀門の位置と規模は、1964年度の発掘調査で初めて確認された。その後も調査が続けられ、1989年度には復原整備を控えて、全面の再発掘が行なわれた。
 明らかになった朱雀門は、柱と柱の間の中心間距離がいずれも17尺(約5m)で、正面5間(約25m)、奥行2間(約10m)の規模をもつ。平成10年度に復元建物が竣工した。
「『平城宮 朱雀門』独立行政法人 国立文化財機構 奈良文化財研究所 2010年発行」より

   

資料集
028_033_朱雀門