東光寺跡

東光寺跡
漆垣内地内字とうこうじの山上に永禄年間まで東光寺という真言寺があった。
 昭和5年6月岡村利平が、今井孫康、森久一郎らの案内で実地踏査した記事が飛騨史壇昭和5年8月号に出ている。記事の概要は
 この跡地は元服山続きの台上で、東南西は低く眺望開闊、寺は南面したものであろう。今は畑地となっているが布目瓦が出る。この日も今井君が破片を1個拾った。この跡地の畑から金銅製の釈迦の像がかつて出土した。
 今より40年ほど前(明治9年頃)漆垣内の都竹捨次郎の母が畑を耕作中発見したものである。この母はまだ健在で名はちかといい当年65歳である。その老婆の案内で出土現地も見たが東光寺の境内と思われる地のやや東側へよった箇所である。仏像は釈迦の降誕像で身長台共に2寸8分、台下の挿込の部分が4分、この挿込にて別の台に挿込んであったものであろう、重量30匁、地金は銅で上に鍍金したものである、下部の剥げた部分に緑青の錆が浮いている、灌仏会に甘茶をそそぐ釈迦像であろう、(以下略)
 布目瓦の出土地であれば奈良時代か平安時代の初めにすでにあった寺と考えられる。漆垣内地内には二宮神社、四天王神社がある、両者共歴史時代の神社としては本村で最も古く、上代この地が文化の一中心をなしていたことが考えられる。
 東光寺は山口の来迎寺と共に後代千光寺の末寺で、永禄7年(1564)に武田勢のために焼かれたと言い伝えられている。当時千光寺は国内の一大教団で、その末寺末院別当社もおびただしい数であった。
<引用文献>
荒川喜一編纂『大八賀村史』416頁 大八賀財産区発行 昭和46年