東山白山神楽台、飛騨総社
東山白山神楽台、飛騨総社
東山白山神楽台、飛騨総社(例年・5月5日の祭礼)
〈県指定〉2基とも昭和34年3月10日に指定
〈所有者(所在地)〉
飛騨総社(屋台蔵・神田町2丁目100番地)
東山白山神社(屋台蔵・鉄砲町60番地2)
〈時代〉江戸時代(19世紀)
〈員数〉2基
屋台(2基)1 神楽台(飛騨総社)2 神楽台(東山白山神社)
神楽(かぐら)台(たい)(飛騨総社)
沿革 飛騨総社を再興した国学者田中大秀(おおひで)の提唱で、初め箱形の台に高欄をめぐらし胴長太鼓をのせて2人で担いで祭礼に巡行したが、嘉永3年(1850)現在の台形に改造した。その後破損休台したが、昭和41年に修理した。
起案者 田中大秀
嘉永改造 工匠 松田亮長(すけなが)
天井雲龍図 垣内右嶙(ゆうりん)
構造 切破風屋根 太鼓昇降
4輪内板車
特色 「屋台神楽」といわれる形式で、屋根を持つ神楽台である。屋根飾りに常(とこ)世(よ)の長鳴鳥(ながなきどり)を配し、上段高欄には源氏物語の中の特に音楽に関連ある巻々の絵と源氏香を配し、下段に富士、鷹、茄子の彫刻を取りつける。見送りは、岩と花に獅子を配した図柄の朝鮮綴(つづれ)である。
神楽台(東山白山神社)
沿革 東山白山神社は往時安川通に鎮座されていたが、金森氏が城下町を経営するにあたり現在地に移された。弘化4年(1847)創建。明治12年(1879)修理。明治24年(1891)に、方形だった大太鼓の枠を丸枠に替え3段形態とした。昭和31年修理。
弘化創建 工匠 谷口与(よ)鹿(ろく)
明治改修 工匠 村山民次郎
構造 屋根無 太鼓昇降 3輪外御所車
特色 以前使われていた方形の大太鼓枠は、現在は社宝になっているが、谷口与鹿作の2頭の龍の彫刻がからませてある。他の神楽台と異なり、中段に隅切窓を設け、岩、笹、虎を刺繍した緋(ひ)羅(ら)紗(しゃ)の幕を張っている。祭礼時には5人の楽人を乗せて、獅子を舞わせながら神輿行列の先頭を行く。小形であるが、均整のとれた屋台である。
参考文献 『高山の文化財』
資料集
146_156_東山白山神楽台、飛騨総社