東山道・守山宿

東山道・守山宿
守山宿  <もりやましゅく・守山市>
中山道の宿駅名。宿名は、鎌倉期には「十六夜日記」、室町期には「実暁記」に、守山宿として見え、当時は東海道の宿駅であった。江戸期は宿高2,019石余。町並み11町53間余。天保期の人口1,700・家数415。本陣は東町と中町に1軒ずつ。脇本陣は西町に1軒。旅籠30軒。地子免なし。問屋場は本町に2か所、中町に1か所。宿常備人馬50人・50匹、うち囲人馬5人・5匹。草津宿へ1里半・武佐(むさ)宿へ3里半。加宿として吉身(よしみ)村・今宿村。問屋は1人で1か月交代に3か所へ詰める。一里塚が今宿に1か所。吉身村から東海道石部宿へ通ずる石部道。東町の本陣の建坪197坪、中町の本陣の建坪170坪。脇本陣の建坪68坪(宿村大概帳)。
<引用文献>
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三編集『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』691頁 角川春樹発行 昭和54年