森宗弘墓 市指定史跡

森宗弘墓 市指定史跡
森宗弘は文化8年(1811)現在の高山市上二之町の商家に生まれ、呉服商製糸業、酒造業などを営んだ。その一方で自然科学への関心が高く安政年間に起きた地震や、安政5年(1858)に出現したドナチ彗星の記録などを残しており貴重な資料となっている。
安政6年(1859)3月10日、49歳で京都にて没した。
ここは一族の墓域で墓に向かって右から4番目が宗弘とその妻の墓である。戒名は釈道弘居士である。
平成15年3月
高山市教育委員会
説明板より
 〈市指定〉昭和30年8月25日
 〈所有者〉森家
 〈所在地〉若達町1丁目89番地
      雲龍寺裏の墓地
 〈時代〉江戸時代(19世紀)
 〈員数〉1基
  墓(1基)二重台石、高さ33㎝
  標石 高さ53㎝、幅正面28㎝、側面18㎝
 雲龍寺裏山墓地の中腹部に東西6.7m、南北4.2mの土地を区画し、東北隅に8段の石段を設けた墓域がある。墓域内には大阪屋佐兵衛家の墓が10基建てられているが、正面に「釈道弘処士 釈貞順禅尼」とあるのが宗弘夫妻の墓である。
 宗弘は、高山二之町森家第10代七左衛門宗永の3男邦治の長男に生まれ、二之町大佐家の3代目を継いだ。家業の製糸業・酒造業に精励する傍ら、「諸国地震変異録」「ドナチ彗星出現見取図」等の貴重な科学的記録を残した。安政6年(1859)3月10日京都で没、享年49。
地震記録
安政2年2月1日 白川郷地震記事
安政5年2月26日 角川地震記事
安政5年2月26日 立山支脈鳶山崩壊絵図
安政5年2月26日 飛越国境付近山崩見届図
参考文献
『高山の文化財』197頁 高山市教育委員会発行 平成6年3月31日