森水無八幡神社

森八幡神社(森八幡神社・水無八幡神社・松森八幡宮)
森水無八幡神社(もりみなしはちまんじんじゃ)は、岐阜県下呂市にある八幡神社である。「森八幡神社」とも言う。
毎年2月に行われる田の神祭は、「田遊び」がその元となっているとされる豊作予祝祭であり、重要無形民俗文化財に指定されている。
1 森八幡(はちまん)神社(森八幡神社・水無八幡神社・松森八幡宮)
  下呂町森字羽根1,321番地
.祭神 御食(みけ)津(つの)神・応神(おうじん)天皇
            猿(さる)田(だ)彦(ひこの)神・倉(うか)稲(の)魂(みたまの)神
            事解男(ことどきおの)神・速(はや)玉(たまの)神
           須佐之(すさの)男(おの)神・大山(おおやま)祗(つみの)神
            火産(ほむ)霊(すびの)神・大(おお)己(な)貴(むちの)神
            埴山(はにやま)姫(ひめの)神・興(おき)津(つ)彦(ひこの)神
            興(おき)津(つ)姫(ひめの)神(下呂町誌)
注、官制中の『神名帳』には、御食(みけ)津(つの)神・猿(さる)田(だ)彦(ひこの)神はない。
由緒 『斐太後風土記』によると、その創始は第16代仁徳天皇の御代とするのは、八幡八社説による。山岳崇拝に始まった祭祀とも見られ、あるいは農耕祖神の祭ともうかがわれ、さらには、道祖神祭とも考えられる特殊神事が多く、由緒が雑多であり、確定しがたい。
  神社は戦国末期まで、年6回の祭礼があった。三木氏より祭祀料田3町6反を付されたが、金森氏に及んで例祭は年1回となり、社領は召し上げられた。当時八幡神社の祭礼は、一宮水無神社と、久津八幡宮とともに「飛騨の三大祭」と称せられた。
  戸田釆女正による元禄検地に、1反6畝歩の境内除地があり、下呂郷中の「総社」と言った。明治維新(1868)村社に列し、森区の氏神となり、いつの間にか別当泰心寺との関係も絶えた。同40年に、神饌幣帛料の供進指定を受け、同41年には神社会計指定、同42年には、区内11社を合併合祀した。
  古来「御(み)厨(くり)屋(や)」または「当屋」的存在の田口両家と、小池の3家が田神祭の中心となる等、こうした例には飛騨国中に類例がない。
 祭祀 例祭2月14日。祈年祭2月17日。新嘗祭11月23日。
  下呂祭・田之神祭・飼蚕祭等、それぞれ各特殊な神事芸能がある。国中最大最古の祭礼で、一宮御祭礼とともに古式ゆかしく、国指定重要民俗芸能の神事である。
  明治13年に、旧暦1月14日を新暦2月14日に変更され、今日に至っている。
<引用文献>
  土田吉左衛門編集『飛騨の神社』1,282~1,283頁 飛騨神職会発行 昭和63年
2 木造神像
国指定重要文化財 昭和15年10月21日指定
本神社の収蔵庫には、10体の木造神像が保管されている。木造神像は、像高30~60㎝で、平安時代から鎌倉時代にかけて飛騨の匠の手によって彫られた。神像は、風俗的にも彫刻的にも地方色を生かした素朴なもので貴重なものである。
3 田の神祭
国指定重要無形民俗文化財 昭和56年1月21日指定
本神社の祭事として毎年2月14日に境内で行われる。中世以来の田遊びの芸能が規模、様式ともに伝承されており、希にみる貴重な民俗資料とされている。4人の若者が、大きな色とりどりのかぶり笠をつけて踊ることから、別名「花笠祭」と言われ、飛騨で最も早い祭であることから、「飛騨路に春を告げる祭」として賑わう。
4 下呂之大杉の由来
 この地に樹齢2千有余年、周囲13米の巨大な杉の老木が茂っていた。
 記録によると、安政6年(1859)1月20日、湯之島下町より出火、折りからの強風にあおられ飛び火し、2番杉は途中で焼き折れ、拝殿、神輿堂を焼失したが、大杉は真頭を焼失するに留まり生き残った。
 昭和3年(1928)、国の天然記念物に指定され、近隣に比類なき巨木「下呂の大杉」と親しまれていた。ところが、昭和27年(1952)5月8日、又もや湯之島下町より出火、5月特有の北風にあおられて大杉に飛び火し、巨大な煙突の如く燃え上がり、惜しくも上部を焼失してしまった。
 そのため国の指定は解除されたが、焼け残った基部約10米は、岐阜県の天然記念物に指定されていた。
 度重なる火災にあい「火伏せの大杉」と崇められていたものの、内部は畳が6枚程敷ける空洞であった。しかし外壁にあたる幹の一部と、地上5米程から出て高さ12米程にのびた1の枝は青々と茂り生き永らえていた。枝とはいえ直径50糎をこす太さであった。
 しかるに、平成2年(1990)8月9日、補強工事を目前にして腐食が進み、突如倒壊してしまった。現在、大杉の立っていた跡に2世の若木が植えられている。
*2~4は説明版より