椿井大塚山古墳

椿井大塚山古墳
飛騨匠が通った山科から奈良までの途中にある古い古墳で匠たちはこの古墳を横目に見ながら飛鳥、奈良へと進んだ。 
史跡 椿井大塚山古墳   (平成12年9月6日 国史跡指定)
椿井大塚山古墳は、木津川を望む段(だん)丘(きゅう)上(じょう)に立地する古墳時代前期初頭の前(ぜん)方(ぽう)後(こう)円(えん)墳(ふん)である。墳(ふん)丘(きゅう)の規模は、全長175m、後円部直径約110m、前方部長約80m、前方部墳端幅約76mを測り、高さは後円部約20m、前方部約10m程度であったと考えられている。築造時期は、奈良県桜井市の箸(はし)墓(はか)古(こ)墳(ふん)を頂点とする定型化した前方後円墳の出現時期(3世紀後半)にあたり、いわゆる邪(や)馬(ま)台(たい)国(こく)の時代の古墳である。
昭和28年(1953)、古墳後円部を横断する鉄道の改良工事が実施され、偶然に発見された竪(たて)穴(あな)式(しき)石(せき)室(しつ)から、三(さん)角(かく)縁(ぶち)神(しん)獣(じゅう)鏡(きょう)30数面を含む40面近くの銅(どう)鏡(きょう)や、おびただしい量の副(ふく)葬(そう)品(ひん)が出土した。三角縁神獣鏡については、邪馬台国の女王卑(ひ)弥(み)呼(こ)が中国の魏(ぎ)の皇(こう)帝(てい)から賜(たまわ)った鏡(かがみ)とする有力な説がある。
椿井大塚山古墳は、邪馬台国の所(しょ)在(ざい)地(ち)論(ろん)争(そう)ともからんで、古墳時代成立の鍵(かぎ)を握(にぎ)る記(き)念(ねん)碑(ひ)的(てき)遺(い)跡(せき)である。    平成13年3月 木津川市教育委員会
*説明版より