洲原神社

洲原神社(すはらじんじゃ)
洲原神社は、今より約1300年前、元正天皇の御代養老元年に(西暦717年)、越前国足羽郡麻生津村、神職三神安角の二男泰澄が加賀国白山の絶頂で厳かな修行行うていられた時に霊夢を感じ、其の状を具(つぶ)さに、天皇へ奏上されたので、元正天皇より泰澄に斎鎮の勅命下り、又当社御造営使として、伴安麿に御剣一口と封戸若干、従者二人に甲胃を添えて下し賜う。養老5年5月、実に宏大荘厳な御社殿が御造営の工を竣え、勅を奉じて泰澄が御祭神をお祀(まつ)り申し上げたのであります。
当社古来「正一位洲原白山」とも称(たたえ)奉り、洵に御由緒深い大社であります。
奈良時代に越前の名僧泰澄(たいちょう)大師によって創建されたと伝えられる洲原神社の社殿は、この近郷には稀な壮麗なものである。この神社は古来農桑の神として尊崇され、江戸時代から洲原講の組織があって各地からの参詣が多かった。
中央本殿
三間三面入母屋造り(いりもやづくり)桧皮葺、前面に向拝(こうはい)がつく。三手先斗組(みてさきときょう)であるが支輪(しりん)はなく、斗組(ときょう)の間に蟇股(かえるまた)を入れ、唐様を主として和様を混ぜ、市内で最も規模の大きい立派な本殿である。
社伝によれば康正(こうしょう)年間に建立し、天正13年(1585)に鉈尾山(なたおやま)城主佐藤歳次郎方政によって修理されたということであるが、さらに江戸時代にも大修理を加えたものと推定される。
東西本殿
どちらも三間三面の流れ造り(ながれづくり)、身舎(もや)は円柱、向拝は角柱を用い、斗組は出組(でぐみ)で勾欄をめぐらしている。江戸時代の建築と考えられるが、本殿と並んで三神殿並立の姿はまことに立派である。(編集中)