照蓮寺本堂(国指定重要文化財)

照蓮寺本堂(国指定重要文化財)
所在地   高山市堀端町8番地(城山公園内)
所有者   照蓮寺
指定年月日 昭和31年6月28日
構造形式  入母屋造 栩葺形銅板葺
浄土真宗の寺院では日本最古の建物といわれ、昭和35年に合掌造りで有名な荘川村(現在の高山市荘川町)から、高山城二の丸跡へ移築された。永正年間(1504年から1521年)の建立と伝えられるこの本堂は、書院造を基調として、道場発祥の過程を物語る。
かつては荘川村中野にあり中野御坊と呼ばれてきたが、御母衣(みぼろ)ダムが建設されることになり、昭和33年~35年にかけて現在地に移築された。
一本の大杉を使って建てられたと伝わる書院造りの本堂は、長さ7間の長大な梁や、緻密な木目の板材など見所は多い。山々の形にも似た緩やかな屋根の曲線は、飛騨の寺院建築を象徴する優美さの一つである。
延宝6年(1678年)の棟(むな)札(ふだ)や小(こ)屋(や)束(づか)の墨書から、当時の流行であった本願寺式急勾配の屋根に改装されていたことが分かり、移築の際に創建当初の緩やかな屋根に復元された。杉(すぎ)柾(まさ)目(め)の柱に取られた大きな面、柱の上の美しい曲線を描く舟(ふな)肘(ひじ)木(き)、広(ひろ)縁(えん)内部の調和のとれた舞(まい)良(ら)戸(ど)と明(あかり)障(しょう)子(じ)など、仏壇構えの内陣と共に上品な雰囲気が漂う。
説明板より

 

 

嘉念坊善俊上人畧伝
高山別院照蓮寺の開基嘉念坊善俊上人は後鳥羽天皇第12の皇子で承久3年(1221)御年8歳のとき園城寺に入って僧となり道伊と号した。 寛喜3年(1231)関東から上洛中の親鸞聖人に箱根で逢い、本願他力の念仏の奥儀を聞いてその弟子となり、嘉念坊善俊の名を賜わった。その後祖師聖人に常隋し研鑽怠ることなくいよいよ利他真実の義をきわめた。師の命を受け辺地の群萌教化の旅にたち、都から北陸に向かう途美濃白鳥に暫く逗留したがそのとき上人に帰依するもの数知れず北濃一帯に真宗がひろまった。
宝治年間(1247~49)はじめて飛騨国に足を踏み入れ辺地の教化のため己が住居を一ヵ所に定めることはせず、白川郷の深い山あいの村々をたずね歩いて強化一日としてやすむことがなかった。弘安5年(1282)3月3日69歳没年までおよそ35年間 ひたすらに念仏往生の教えを説き伝えて○むことを知らなかった。その真摯な教化はこの地方の人びとに深い感銘を与え、白川郷一帯はもとより近郷近在の老若男女の商人に帰依する者其の数を知らず。 当時これを白川善俊門徒と呼び白川郷中野照蓮寺を中心として一大宗教団を形成した。
照蓮寺は天正16年(1588)高山城主金森長近公によって高山の地に移されたが、以来真宗は飛騨一円にひろがりいわゆる真宗王国を実現するにいたった。
高山別院は飛騨真宗発祥7百年と飛騨御坊造立4百年を記念して、同境内に嘉念坊善俊上人の碑を建立し、ながく上人の遺徳を顕彰し、かつわれらの父祖によって伝統された真宗念仏の信心を相続し、同朋社会の顕現に一段の精進を期せんとするものである。建碑に寄せられた門信徒の芳名録は、百年後の人びとへのメッセージとともにタイムカプセルに収納し建碑の地に遺するものである。
岩井正尾 謹書
昭和60年11月2日 高山別院照蓮寺
説明板より

関連資料

2-12-1 照蓮寺本堂

2-12-2 嘉念坊善俊上人畧伝