県指定民俗文化財勝山左義長

県指定民俗文化財 勝山左義長
勝山左義長が史料に見られるのは延享4年(1747)である、その文言からはそれ以前から左義長が行われていたことがうかがえる。50年近く領主不在の勝山三町にとって左義長は町民の紐帯としての役割を果たしていたものと思われ、それは勝山町が城下町として出発する元禄4年(1691)以前から続けられてきた。
当初はあくまでもドンド焼として始まったが18世紀中期になり、三町が相次ぐ火災に見舞われる中で鎮火祭としての色彩が濃くなる。それと同時に祭礼的要素からおまつりとしての娯楽的要素が加わり、勝山左義長独特の様相が徐々に見られるようになる。櫓が街路に建てられその上で太鼓をたたき、また能・歌舞伎の演目が素人役者によって演じられた。また三色の短冊が町中に吊るされご神体には包みを吊るし、各町では競って押し絵が製作された。さらに後には干支に因む作り物も展示されるようになる。歴代藩主が俳諧の嗜みをもっていたこともあり世の中を風刺した雑排が絵行燈として飾られた。これらは勝山左義長独自のもので、左義長まつりとして町民自身が楽しむ最も華やかなまつりとして定着していった。   
左義長行事は当初旧暦1月13・14日に行われてきたが、現在は2月の第3土曜・日曜日に県内外から多くの観光客を集め開かれる。フイナーレは九頭龍河畔で行われるドンド焼でこの2日間で10万人以上が訪れ、奥越に春を呼ぶとされる左義長が終わる。現在は県の民族指定文化財となっているが将来は国指定を目指している。

 

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勝山左義長解題