石川ルーツ交流館

石川ルーツ交流館
現在の行政区域である石川県は、明治5年2月2日に金沢町にあった金沢県庁を石川郡美川町に庁舎を移設したことに始まる。このとき県名を石川県とする。同年9月25日には、能登の七尾県を廃して石川県に統合させた。同年11月17日には、江戸時代幕府領で明治4年の廃藩置県後は足羽県(現在の福井県の一部)に属していた白山を含む白山麓十八ヶ村を石川県に併合したことにより、現在の石川県の原形が完成した。その後、明治6年1月14日には、石川県庁は金沢町に戻り現在に至る。2年にわたり現在の白山市美川地区本吉は手取川」の左岸上に形成された砂丘地であり、16世紀から川海に面した天然の良港で、日本海側有数の北前船の寄港地でもあった。なぜ、金沢から離れた美川に石川県庁が置かれたかは、謎であるが金沢との違いは、海に面した港であり、交通に便がいい場所にあった。金沢は江戸時代全国で5番目の都市であったが、廃藩置県とともに武家文化が崩壊し、失業した大量の武家層は当時全国的に地方自治を動かしていた薩長藩士に対しての憎悪があった。当時の第1代県令(知事)は薩摩出身の内田正風であり、美川に県庁を置いたには、一説には反乱の政変時に、早く脱出できること考慮したとも言われている。平成13年にこの旧庁舎が石川ルーツ+交流館内復元され、当時の資料も一部展示されている。
特色
旧石川県庁舎を復元

メタデータ
石川ルーツ交流館

 

資料集
075_078_石川ルーツ交流館