粉河寺

粉河寺
宝亀元年(770年)のある日、猟師の大伴孔子古(くじこ)が山中で霊光を発する場所を見た。霊光を見た孔子古はこの地が霊地に違いないと考え、ここに小堂を建立したと伝えられている。
この小堂に童男大士が訪れ、七日間、堂に籠もって仏像を刻み、これを本尊にするようにと孔子古に与えたといわれており、翌日、童男大士が去ると、その仏像は金色に輝く観世音菩薩になったという。孔子古は童男大士こそ観世音の化身と考え、以後、殺生をやめ供養礼拝したといわれ、これが粉河寺の創始と伝えられている。
この縁起は国宝に指定されている「粉河寺縁起」という紙本著色絵巻に描かれているが、原本は京都国立博物館に寄託されているようであり、粉河寺にはその複製品が保存されている。
左 甚五郎作「野荒らしの虎」
粉河寺本堂に、左 甚五郎作「野荒らしの虎」があります。この虎は、夜な夜な抜け出して田畑を荒らし回り、人々を困らせたので、ついに目に釘を打たれてしまったという伝承があります。左 甚五郎の名工ぶりを伝える伝承です。粉河寺本堂の再建に力を注いだ徳川吉宗公が、第八代将軍となってから寄進したものと伝えられています。