舟岡山城

舟岡山城
舟岡山城跡は、手取川右岸の独立丘陵で、標高は一番高いところで海抜181mを測る。手取川扇状地と白山麓の谷合集落を結ぶ中間に位置し、周囲にはさえぎるものはないことから、独立要塞として山城として利用されてきた。白山市鶴来地区の八幡町に位置し、面積は約120,000㎡で、山域の全域が舟岡山城跡として、白山市指定史跡となっている。山の南尾根には、石垣で囲われた曲輪(くるわ)遺構が残されている。歴史上では、天正8年(1580)に若林長門守を名乗る石山本願寺と加賀一向一揆勢が織田信長の軍勢が対峙し、石山本願寺側が破れ、その後、前田利家が金沢城に入城後、家臣である高畠定吉が石川郡他を扶持され入場したとされる。高畠定吉は、利家と血縁関係がある重臣であったが、慶応6年(1604)年に関ヶ原の合戦処理後、隠居しその後他の家臣が入らなかったことから廃城となる。現在の城の縄張りは、天正8年から10年にかけて反乱があった鳥越城を意識して形成されている。北側には、自然地形を活用した惣構え堀と犬走りがある。
特色
織豊期とよばれる頃に、貴重な石垣遺構が残存し、貴重な歴史遺産として評価されている。

メタデータ
舟岡山城概要
舟岡山城
資料集
071_074_舟岡山城