越前大野城跡

越前大野城跡
越前大野城跡は、大野盆地の西側に位置する標高約250mの亀山と、その東側に縄張りを持つ平山城跡である。織田信長の部将、金森長近により天正年間(1573-1593)の前(ぜん)半(はん)に築城された。
越前大野城は亀山を利用し、外堀・内堀をめぐらし石垣を組み、天主閣を構えるという中世の山城にはみられなかった新しい方式(しき)の城(しろ)であった。
江戸時代の絵図には、本丸の望楼付き2層3階の大天主と2層2階の小天主・天狗櫓などが描かれている。本丸の石垣は、自然石をほとんど加工しないで積み上げる「野面積み」と言われるものである。
江戸時代には町の大火により、城も幾度か類焼し、安永4年(1775)に本丸も焼失したが、寛政7年(1795)に再建された。廃藩後、城の建造物は取り壊され、石垣のみがのこされた。
説明板より

 

 

市指定史跡 戌山城址
戌山城は、室町時代に幕府の重臣(管領)斯(し)波(ば)氏の一族によって築かれ、織田信長の部将金森長近が亀山山頂に大野城を築くまで、越前美濃国境間の要として重視されていた。
途中、斯波氏の内紛を機に朝倉氏の居城となったが、それは、三代目城主持種の子である斯波義敏との家督争いが発端となり、応仁の乱の一因になったともいわれる。
主郭のある山頂からは大野盆地が一望に見渡せ、郭群・堀切・竪堀などの遺構も確認できる。
登山口横にある「みくら清水」は、山頂の兵が日に3度飲料水を汲みに来た、という言い伝えでこの名がついている。
平成12年3月               大野市教育委員会
説明板より

 

関連資料

2-6-1 越前大野城あと

2-6-2 越前大野城城主

2-6-3 金森長近

2-6-4 百間坂

2-6-5 武家屋敷旧内山家

2-6-6 名水百銭 御清水

2-6-7 御清水

2-6-8 戌山城址

2-6-9 戌山城址主郭部