金森氏第4代頼直の菩提寺・大隆寺

金森氏第4代頼直の菩提寺・大隆寺
妙高山大隆寺の歴史
○承応2年(1653)、第4代金森頼直が創立、開山は京都紫野大徳寺前住「禅海宗俊」。京都金龍院の末寺となる。臨済宗としての大隆寺である。
○第3世乾舟妙一も大徳寺の前住で、書画をよくした。瀬戸の陶工加藤源十郎を同道。
○金森氏転封後は荒れてしまい、元禄5年(1692)から宝暦12年(1762)までの70年ほど無住、その後、留守居の道心坊は騒客を招くなどして、遊戯道場となった。
○安永7年(1778)、曹洞宗の「大而宗龍」が京都金龍院から謝礼金100両で譲り受け、大隆寺を再興した。古堂を壊して田とし、現大隆寺境内地に本堂、禅堂、庫裡等を造立した。師の天徳悦巌素忻を、曹洞宗大隆寺としての開山とした。宗龍和尚は、曹洞宗大隆寺の第2世となる。
〇この時から越後国曹洞宗万福寺の末寺となった。
○宝暦(1751~)除地帳には、山林1町3反、石高3石8斗とある。
○文政13年(1830)、庫裡用材、西之一色熊野社の檜の寄付を受けた。
○天保12年(1841)、妙見社、きれいにできすぎたので御役所より注意有。
○明治10年(1877)釈迦堂新築
※境内、隣接墓地に金森宗和の碑、館柳湾の詩碑、芭蕉の碑有。
※鎌倉時代の鰐口(県文化財)を宝蔵。これは朝日町甲区で、長八が発掘したもの。銘「敬白奉施入金一口岩寺正応二年十二月十八日願主沙彌道阿」、高山の野口養安ほか16人が買い取って大隆寺へ寄進した。
リーフレットより
金森頼直
金森氏第4代城主
元和5年(1619)~寬文5年(1665)
 頼直は、第3代重頼の長男で、慶安3年(1650)父死去に伴い跡を継いだ。承応2年(1653)、頼直は、大隆寺を建立した。現在の大隆寺位置より北東150ⅿ離れた場所にある。頼直は明暦3年(1657)1月18日、江戸大火の際に、駿馬「山桜」に乗って危機を免れている。名馬山桜は、本町の山桜神社に祀られた。大火の際、幕府へ復興用の檜材1,000本を献上した。また、社寺の復興にも力を入れている。
 万治2年(1659)、久津八幡宮修復
 万治3年(1660)、古川杉本社殿再建
 万治3年(1660)、千光寺再興
 寬文3年(1663)、病によって剃髪を許され、立軒素白と号した。寛文5年(1665)6月、頼直の病気平癒、武運長久を祈って越中の肴屋連中と、金森家の家臣が日枝神社に絵馬を奉納している。
 寬文5年(1665)7月、江戸の金森藩邸において没した。法号は大隆院殿立軒素白大居士。殉死は禁令になっていたため、殉死者はいない。
リーフレットより

 

関連資料

2-19-1 妙高山大隆寺の歴史

2-19-2 金森頼直