飛騨の木工家具

飛騨の木工家具
飛騨における洋家具発祥の歴史は、大正9年に取り組んだ家具づくりが源である。当時未活用材であったブナ材の活用を考え、多くの困難を乗り越えて飛騨を一大家具産地に発展させた歴史がある。木材を蒸して曲げる方法を1837年頃に考え出したのはドイツ人の「ミハエル・トーネット」であった。世界各国に5,000万脚も販売したといわれる。 日本では明治末期にこの家具が輸入され、日本政府によって民間にこの曲木椅子の製作が奨励された。大正9年(1920)飛騨に伝わり、飛騨産業㈱の前身である中央木工㈱でブナ材での曲木家具づくりが始まった。しかし、商品化するためには大変な苦労と技術開発が求められた。戦時中は曲木技術が認められて木製落下タンク(増槽)の製造、木製飛行機を試作している。昭和24年対米輸出を再開。戦後初めて木製折畳椅子をアメリカへ輸出した。昭和30年代前半には、総販売の80.3%が対米輸出となった。昭和30年代後半、それまで順調に推移してきた輸出も鈍化し始めたため、国内販売に力を入れることとなった。40年代前半の「いざなぎ景気」に支えられ、飛騨の各社とも国内需要に急成長を遂げていった。昭和40年、「暮しの手帳社」の大橋社長、飛騨をこよなく愛し続けてきた花森安治編集長の肝いりで、東京・日本橋の三越百貨店で飛騨民芸協会主催の飛騨高山展が開催された。その折、匠の技を伝える飛騨の家具が大きな反響を呼び、連日の賑わいを見せた。
参考文献/『飛騨産業株式会社七十年史』平成3年 『新飛騨匠物語』平成14年