飛騨匠神社

飛騨匠神社     高山市城山 護国神社境内地
 現在の建物は高山建築組合により、新社殿として昭和36年に新築されている。当初は飛騨国分寺境内に歴代工匠諸霊を併せて祭祀と供養がなされていて、この堂宇を「木鶴堂」と呼び「木鶴大明神」を祀っていた。
木鶴大明神は国分寺の「大明神縁起」によると平安時代に飛騨市河合(かわい)町天生(あもう)から出て京に行き、さらに中国の唐へ渡って活躍した飛騨匠の「韓(からの)志和(しわ)」だという。しかし大工仲間があがめる「木鶴神」は、鎌倉時代に郡上市長滝寺の大講堂建立という大工事をなした藤原宗安をもって飛騨匠の祖としている。そして自分たちを藤原宗安の末裔だと信奉している。
明治12年、城山公園三ノ丸に中教院(現在の飛騨護国神社)が創立されると、神霊は木鶴神像を残して国分寺より分離して中教院に遷され、明治15年、飛騨匠神社として高山中教院の皇大神宮内に祀られた。明治17年1月2日、匠神社例祭として定着(神道事務分局日誌)し、大工組合・木匠講などによって祭祀が行なわれるようになった。
明治20年、久邇宮朝彦親王殿下より「木(たく)匠(みの)祖(おや)神(がみ)」の御神号を賜り、木匠祖神(猪名部(いなべの)眞(ま)根(ねの)大人(うし))を主神とし、相殿に飛騨工匠歴代の神璽と手置帆負(たおきほをひの)神(かみ)・彦狭(ひこさ)知(しり)神(のかみ)2柱の神を祀る。
昭和36年の新社殿は、昭和55年、護国神社の社務所と遺品館建築のため、南側に移されて現在に至る。
参考文献
飛騨建設工業倶楽部企画・編集『飛騨匠』昭和60年
『飛騨の匠神社』5~6頁 高山建築組合 匠神社崇敬会発行