飛騨国分尼寺

飛騨国分尼寺  高山市岡本町1丁目128番地辻ケ森三社境内地
 奈良時代から10世紀後半頃まで飛騨国分尼寺が建てられていた場所である。昭和63年、辻ヶ森三社の社殿改築を機に発掘調査が実施され、飛騨国分尼寺金堂跡が発見された。規模は、基壇の大きさが正面幅110尺(32.78m)奥行66尺(19.67m)で、基壇上には桁行7間、梁間4間の礎石建物が建てられていた。飛騨国分寺の金堂寸法も、桁行7間、梁間4間と同じで、桁行の寸法も88尺と同じ大きさであることが分かり、両寺の強い関係が知られた。
 敷地の形では南側正面1間分に壁が無く、床は石が敷かれ、この形態は、奈良の唐招提寺金堂の吹き放し廊下と同じ様式であった。また基壇の版築(ばんちく)は高さ120cmで、非常に硬く叩きしめられ、版築の上に穴を掘って設けられた礎石は安定して水平を保ち、礎石間の高低が発掘時でも2~3cmの誤差であった。凍結厳しい高山でも版築構造による基壇が堅牢であるかが知られた。遺物は、奈良時代から平安時代にかけての須恵器・灰釉陶器と瓦が出土し、灰釉陶器が基壇上の堆積土から出土、その年代から10世紀後半頃まで尼寺が存続していたと考えられている。
 国分尼寺は全国的に見て、その位置や構造など詳しいことが分かっておらず、飛騨国分尼寺のように建物構造まで明らかになったのは珍しい。飛騨国における国分寺、国分尼寺の特定により、奈良時代において聖武天皇、持統天皇の悲願であった、諸国に国分寺、尼寺の位置が判明している。
参考文献
『高山市史・考古編』