飛騨町

飛騨町
飛騨町一帯には飛鳥、奈良時代、木工に秀でた多数の飛騨匠が飛騨から招集され、日本初の都城・藤原京造営のため長く住んでいたと伝えられている。
藤原京造営が終わったあとの天平勝宝8年(756)に、孝謙天皇が当地の「飛騨坂所」と呼ぶ領地を南都・東大寺に与えた。その書き付けが内閣文庫所蔵の東大寺文書として残っている。当時すでに「飛騨」の地名が定着していたことになる。
東大寺領はその後、幾多の変遷を遂げながらも鎌倉時代の後期まで領有が続くが、室町時代の後期に至って当地の豪族・越智氏の支配下に入ってゆく。
江戸時代の初めごろから「飛騨村」と呼ばれた当地は、幕府や郡山藩などの領域となったあと、延宝7年(1679)に再び幕府領となった。
明治22年に鴨公村の大字となった同地が、昭和31年の橿原市発足により飛騨町となった。上飛騨町の区域は、東西約450m、南北約560m。飛騨町は上飛騨町の西側に隣接、東西約260m、南北約460mである。上飛騨町区域の北端に国指定史跡の藤原京朱雀大路跡がある。
奈良における「飛騨」の地名は、古代朝廷に全国の各地から動員された人々が、出身地国名を奈良の居住地名に使った名残である。(引用:橿原市公式ホームページより)
 

  ) 

資料集
031_036_飛騨町