高松塚古墳

高松塚古墳
1972年、発掘調査によって美しい壁画がみいだされ、有名になった古墳である。明日香村平田にある。径約20mにすぎないが、粘土と砂を交互に一層ずつつきかためて築くなど飛鳥の古墳に特有の、特殊な構造を備えた終末期の古墳の一つである。造られた年代は7世紀末から8世紀初めと考えられている。石室の天井には星宿(星座)、周囲の壁には日・月、四神と従者を配し、死者が永遠の眠りにつく小宇宙を形成しており、中国思想に基づいて貴人の墓にふさわしく飾っている。
高松塚古墳応急保存対策調査会では、早急に、石室内の三方の壁と天井に描かれた壁画の調査をおこなった。壁画は、男・女の人物群像、四神、日、月、星宿である。男・女の群像は、それぞれ4人一組で、東西の壁に、男子像が南寄りに、女子像が北寄りに描かれている。四神は、南壁を除く各壁の中央部に描かれている。日輪は東壁の青龍、月輪は西壁の白虎の上にそれぞれ描かれ、星宿は天井の中央部にちりばめられる。扉石の内側には、朱雀が予想されるが、漆喰が剥離しており、わからなかった。人物像の足の位置は、龍・虎の脚先とほぼ一線をなし、人物像の高さは、およそ40cmである。
壁画は、長い年月や盗掘によって、傷つけられていた。例えば壁の漆喰に亀裂を生ずるほか、西壁上部などでは、これが原因となって漆喰が剥落している。また、天井と側壁の接合部分の一部から鉄分を含んだ水が滲みでたため、そこから下辺にかけて、赤褐色に汚れている。このため、東西両壁の男子群像と青龍の一部が、著しく不鮮明になっている。盗掘穴から流れ込んだ土砂によって埋もれた個所の漆喰は、汚れ、剥落している。また、顔料の剥落が著しい個所は、東壁女子群像の頭部と腹部、西壁男子群像の一部、青龍の尾の周辺、日輪の下辺などにみられる。このほか、玄武には、意識的に掻き落としたとみられる側壁材にまで達する打痕があり、日輪、月輪の中心部にも、金箔や銀箔を意識的に掻き取った形跡が認められる。
(引用:https://www.asukanet.gr.jp/ASUKA2/TAKAMATUTUKA/takamatutuka.html)