下呂市天然記念物 位山八幡神社の社叢
下呂市天然記念物 位山八幡神社の社叢
<位(くらい)山(やま)八(はち)幡(まん)神社>
鎮座地 萩原町山之口字神屋1,272番地
白幣社 (旧社格 指定村社)
一、祭神 主神 応(おう)神(じん)天皇
仁(にん)徳(とく)天皇
神(じん)功(ぐう)皇后
配祀 氏子出身靖国の神霊30柱
一、由緒 創建年代は不詳であるが、国説に、第16代仁徳天皇の65年、飛騨国両面宿儺追討の勅命を奉じた武(たけ)振(ふる)熊(くまの)命は、進軍の各所で先帝応神天皇の尊霊を奉祀し、戦勝を祈願された祭場遺蹟であろうと称せられる。中津原・乗政・森・久津・一宮・石浦・高山等と共に「飛騨八幡八社」の1であるとも伝えられている古社である。
第42代文武天皇の大宝律令制定による、東山道の官道筋であったが、のち天正年間(1573~1592)金森長近が、飛騨国主となると、位山の険を避けて、上呂より小坂・久々野・一宮に至る河内路を、公道に切り替えたので、かつての道は廃道となり、大正の頃まで、専ら高山に至る歩道として利用された。
また、里伝に宮坂の現地と、森の幅・上馬瀬戸にあった3社を、合併合祀したとも伝えられる。
戸田釆女正による元禄検地には、境内社地に1反6畝10歩の除地を受け、明治維新には村社に列格し、同40年神饌幣帛料の供進指定、並びに神社会計適用指定を受けた。
この地は古来、大野郡久々野郷に属し、一宮神領として1村1区1神社であったが、昭和31年に益田郡萩原町に合併し、神社もまた益田郡支部川西部会に編入されて、社名も「位山八幡神社」と改称された。
創建以来の記録は少なく、棟札には文政10年・嘉永元年・大正2年等に、拝殿を再建したことがわかる程度である。
本殿は小社ながらも郡内における代表的な建築様式である。
終戦後、神社林の伐採により、往時の景観を失ったが、なお境内には、県指定天然記念物の「夫婦杉」・「一位樹」等がある。
<引用文献>
土田吉左衛門・益田郡支部 熊崎善親編集『飛騨の神社』1,148~1,149頁 飛騨神職会発行 昭和62年