匠の道・平城京
匠の道・平城京
第一次大極殿
第一次大(だい)極(ごく)殿(でん)は、奈良時代前半に、平城京の中軸線上に建てられた平城宮の中心的建物で、天皇が様々な国家儀式を行なう施設であった。「大極」(太(たい)極(きょく))とは宇宙の根源のことで、古代中国の天文思想では北極星を意味する。大極殿は和銅8年(715)には完成していたと考えられている。
高御座
第一次大極殿の内部には、高(たか)御(み)座(くら)と呼ばれる天皇の玉座が置かれていた。高御座は、皇位を象徴する重要な調度で、天皇は即位式や元日朝賀などの国家儀式の際に、大極殿に出(しゅつ)御(ぎょ)して高御座に着座した。貴族は、大極殿の南に広がる内(ない)庭(てい)に立ち並び、大極殿の天皇を拝した。
高(たか)御(み)座(くら)は、国家儀式の際に天皇が着座した玉座である。奈良時代の高御座の構造や意匠に関する記録はなく、詳細は不明である。ここに展示した高御座の模型は、大極殿の機能や広さを体感できるように、大正天皇の即位の際に作られた高御座(京都御所に現存)を基本に、各種文献史料を参照して製作した実物大のイメージ模型である。細部の意匠や文様は、正(しょう)倉(そう)院(いん)宝(ほう)物(もつ)などを参考に創作された。
飛騨産業では、この高御座を復元した。飛騨・世界生活文化センター内に展示している。
大極殿の姿
第一次大極殿の姿を直接的に示す資料は残っていない。復原に当たっては、大極殿が移築された恭(く)仁(にの)宮(みや)の大極殿跡の調査成果などを参考に、柱の位置がを推定されている。上部の建物については、現存する法(ほう)隆(りゅう)寺(じ)金(こん)堂(どう)や薬(やく)師(し)寺(じ)東(とう)塔(とう)などの古代建築をはじめ、平安時代の『年(ねん)中(ちゅう)行(ぎょう)事(じ)絵(え)巻(まき)』に描かれた平安宮の大極殿などを参考に調査研究を行ない、当時の姿が復原された。大極殿は、二重構造の入(いり)母(も)屋(や)造りで、前面は扉のない吹放しの建物と考えられている。
*大極殿内説明版より
資料集
125_133_匠の道・平城京