千鳥格子御堂
千鳥格子御堂
金鉱が発見されて賑わいを見せていた六厩で、慶長元和(1596~1624)の頃、この地の了宗寺の建立を終えた名工の棟梁が、その余材で旧軽岡峠の辻に「地蔵堂」を造った。御堂の扉として考えられたのが、謎に包まれた千鳥格子の秘法だった。この格子戸は檜の角棒を互い違いに組んでいるが、どこでどのように組み合わせたものか、外見では全くわからない立派な細工で、千鳥格子と呼ばれてきた。地蔵堂は昭和34年の新軽岡峠開削、平成4年の軽岡バイパスの開通に伴い、旧軽岡峠の辻から新軽岡峠口を経て現在地へ移されている。移築時には復元された千鳥格子の扉もできている。昭和46年に高山市の文化財に指定された。
当初の千鳥格子は、長い年月の風雪に耐え、切り取られたり、秘法を知りたい人々の手ですり減っているが、無残になりながらも伝えられてきた秘法の造形に、往時の名工の密かな誇りが込められているかのようで美しい。その秘法扉をつけた地蔵堂は、新しい鞘殿の中に安置されている。
高山の名工岡田甚兵衛は軽岡峠まで出向き、その組み方を解き明かそうと調べたが、外見からは全く解らない。やむなく扉の片隅を少し壊し、その秘法を盗んだという。その謎は噛み合わせ部分の切り込みの深さにあった。秘法を会得した甚兵衛は、早速高山で千鳥格子を使った御堂を建てたという。それが、高山市内東部を流れる江名子川に架かる助六橋の近くにある現存の稲荷堂(川上別邸)である。
参考文献 『新・飛騨の匠ものがたり』(協)飛騨木工連合会発行 平成14年
資料集
015_019_千鳥格子御堂