史跡 堂之上遺跡
史跡 堂之上遺跡
所在地 岐阜県高山市久々野町大字久々野字堂之上2270番地
史跡指定 昭和55年3月24日(文部省告示第47号)
本遺跡は、古く明治・大正時代からその存在が知られていたが、学術調査も行なわれることなく、また破壊もされず畑として耕作されてきた。
昭和47年久々野中学校郷土クラブ員により遺跡の一部が発見されたため昭和48年から昭和54年までの7年間にわたり岐阜県教育員会・久々野町教育委員会の発掘調査が行なわれた。
この結果約75アールの小舌状台地にほぼ完全に残されている縄文時代前期から中期(約5,500年~4,000年前)の集落跡としての様相が明らかにされた。
集落の形態は、台地中央部に土壙群が存在し、それを取りまく形で住居群が台地縁辺部に分布している。
出土品は縄文土器を主体として、石器・土製品・自然遺物等が住居址及び土壙包舎層中より大量に発見された。
遺跡・建物の内容は広く西日本・東日本各地の文化の影響・手法の伝播が認められ、縄文時代の研究に興味ある多くの知見を得ることができた。
本遺跡は往時より今日まで地形の変化を殆んど受けず、典型的な縄文時代集落跡の姿をよくとどめており、学術上重要な遺跡として認められ、国の史跡に指定された。
昭和56年から昭和57年の2年間にわたって文化庁・岐阜県教育委員会の指導援助により、復元整備を行ない史跡公園として永く保存し後世に伝えるものである。
発見された遺構
縄文時代前期住居跡 9軒
縄文時代中期住居跡 34軒
土壙群 約150箇所
昭和57年11月 高山市教育委員会
説明板より