小萱の薬師堂
小萱の薬師堂
中世北飛騨の領主江馬氏の菩提寺だった瑞岸寺の飛び地仏堂。古くから養蚕の守り本尊として広く信仰され、寝雑薬師と呼ばれる奇祭が毎年行なわれ、多くの信者が参拝に訪れていた。正式名称は「瑞岸寺安楽院薬師堂」といい、桁行3間(6.686m)、梁間3間(6.666m)、一重、入母屋造、こけら葺、国指定文化財。簡素ななかにも屋根の美しい曲線や、平面と立面の均整がとれていて、各柱は円柱からなり、柱頭には舟肘木をのせ軒は1軒、疎垂木で、垂木は強く反り上がっている。内部の改造がたびたび行なわれているが、外観は中世の様式を残している。
この薬師堂はかつて隣の野首村にあり、現在地に移築された。堂内に安置してある薬師三尊十二神将御正体に永仁7年(1299)の刻銘があるところから、薬師堂の創建は鎌倉時代に遡るとする説もあった。しかし、昭和49~50年にかけて実施された解体修理復元工事によって、鎌倉時代建立の前身堂の部材を一部利用して南北朝末期、もしくは室町時代初期に再建されたことが判明した。
薬師堂は養蚕の守り本尊として、また5月8日が縁日の「寝雑ぜ薬師、小萱薬師」の名で近隣に知られ、現在、臨済宗妙心寺派「瑞岸寺」に属する仏堂として管理されている。瑞岸寺は天文元年(1532)、江馬氏によって飛騨市神岡町殿の地へ移ったが、以前は上村台地(下小萱、野首、丸山、上小萱)の小丸山にあったとう。
参考資料 『神岡の文化財』3頁 神岡町教育委員会発行 昭和56年11月3日