市指定・加藤光正墓飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ, デジタルアーカイブ市指定・加藤光正墓 〈市指定〉昭和30年11月7日 〈所有者〉法華寺 〈所在地〉天性寺町62番地 〈時代〉江戸時代(17世紀) 〈員数〉1基 五輪塔(1基)総高285㎝ 東山法華寺の裏山にある。光正1周忌の寛永11年(1634)7月16日建立、天明年間(1781~1789)一部を修造した。 光正(光広)は熊本藩主加藤忠広の嫡子で、清正の孫にあたる。寛永9年(1632)忠広は参府の途中、品川で入府を差し止められた。次いで肥後1国を没収され出羽庄内の酒井忠勝に預けられ、光正は飛騨に流された。改易の理由は明らかでないが、江戸で生まれた子を将軍大喪の折ひそかに国もとへ送ったためとか、土井利勝が謀反の偽書を諸大名に回送したとき忠広だけ届け出なかったためとか伝えられている。 高山藩主金森重頼に預けられた光正は、生涯月俸100口を賜わり、天照寺に閉居し、寛永10年(1633)7月16日病死した。享年19歳(法華寺光正碑)であった。 加藤氏・木村氏等は光正の従臣で、光正の死後も当地に居住した。 参考文献 『高山の文化財』197~198頁 高山市教育委員会発行 平成6年3月31日 関連資料 1-3-9 市指定・加藤光正墓 資料集 044_253_加藤光正墓 2020年7月17日 https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2020/07/DSCN1795_R.jpg 768 1024 dapro https://digitalarchiveproject.jp/wp-content/uploads/2023/02/logo.jpg dapro2020-07-17 10:20:392022-06-18 15:30:55市指定・加藤光正墓