① 平湯街道の概要
江戸時代における飛騨国の国境は、標高が三千メートルもある山脈の屋根上にある。厳しい山脈に四方を囲われている飛騨だが、東の江戸へ、南の尾張へ、西の越前へ、北の越中へと、物資運搬や人の移動には街道が必要であった。
丹生川地域にも信州へと通じる街道があり、「平湯街道」また、ある時期には「信州への道」として大きな役割を果たして来た。その道筋は町方、坊方、大谷、小野、平湯、安房峠へと進むが、坊方から小八賀川を渡って日当たりのよい北方、法力、瓜田を通る道もあった。
② 平湯街道の道筋
毎年、十二~三月まで、平湯峠は冬期通行止めであったが、昭和五十三年に平湯トンネルが開通してからは通年の通行ができるようになった。それまでは、高山から冬期に平湯温泉へ行くには十三墓峠、あるいは神岡回りであった。
① 高原道の概要
高山から平湯へは平湯街道だが、平湯で安房峠を越えて信州への道と、北方向に折れて神岡方面に向かう高原道があった。現在、旧街道沿いに国道471号が走っている。
この街道は金森時代以前の街道で、信州―安房峠(または中尾峠)―高原道―神岡―越中の道程が知られる。沿線集落の寺院は曹洞宗が多く、神岡の江馬氏ゆかりの寺が並ぶ。北方向に進んで福地の先、栃尾で東に進むと蒲田、中尾、中尾峠、上高地、嶋々へとつながってゆく。
また、北方向に進んで、見座集落で西方向に折れると本郷平を経て蔵柱、荒原に至る。荒原で越中東街道に接続する。
さらに高原道をもう少し北方向に進んで、中山に至り、東に折れて双六を経て山吹峠を越え、神岡の山之村へとつながる。
② 中尾峠へ
江戸時代の中尾峠への道は福地を過ぎて栃尾で東へ折れ、蒲田を経て中尾の川原沿いに着く。現在の道路は県道475号で、おおむね旧街道に沿っている。県道475号からかなり下に降りたところで、わかりにくいところだが、かつて中尾口留番所の跡がある。
現在の道路は奥飛騨砂防資料館の三差路で東南方向に坂を上がり中尾集落(温泉)に着き、そこから焼岳方面へ上がると中尾峠に至る。中尾峠への道は急坂な登山道で、江戸時代に中尾峠を越えて上高地へ降りた厳しい道のりが知られる。
中尾峠には現在焼岳小屋があり、南西方向に登山道を登ると焼岳頂上に至る。
③ 見座から国府八日町への道
高原道の見座から西へ折れ、河岸段丘の宮原、本郷へと進み、蔵柱、荒原へ西進して荒原の西側で越中東街道に合流、南下すると国府町の八日町集落へとつながる。
国府~見座までの現在の道路は、県道76号になっていて、道路改良工事が進んでいる。高山市街地から上宝支所へ行くにはこの県道が使われる。